
東京から札幌へ。移住マンガ家・信濃川日出雄さんが、その時気になる○○についてイラストと共に語る連載エッセー。今回の○○は・・・「犬」
“貴重な縁”がもたらした小さな幸せ
ミズナラが床の上で平べったくなっている。
毛量が多くクルクルのむくむくで、夏毛に生え変わるような犬種ではないから、連日のまるで本州のような暑さにバテてしまったのだろうか。爪で器をチンチンと叩く音が聞こえた時は、飲み水の催促だ。うっかり切らしちゃってごめんよと謝りながら水を入れてやると、長い舌をヘタクソに使ってガブガブと豪快に飲む。あたり一面、水びたし。
◆劣悪な環境で育って
ミズナラとはわが家の犬の名前。本当は違う名前なのだが、本”犬”のプライバシーに配慮して、このエッセーではミズナラとしておく。わが家の裏に生えている樹木のミズナラとまぎらわしいが、ご容赦願いたい。
ミズナラをわが家に迎えて2年になる。8歳、メス。犬種は小型犬のトイ・プードルのはずだが、ミズナラの体は平均よりかなり大きく、小さめの中型犬サイズ。調べてみると、愛玩犬としての品種改良が繰り返されてきた中で、時折遺伝的に先祖がえりをして大きな個体が出現することがあるらしい。たぶん、それだ。
ミズナラは前脚が不自然に両側に開いている。例えば人間が土下座をするとき、両手を床につき肘を外側に開いて腕を折り曲げる動作をするが、まさにあの姿勢がミズナラにとってのニュートラルポジションだ。さらに全身を触ってみると、ところどころ骨が節ばっていて違和感がある。子犬の頃に栄養失調だと、このように形成不全になることがあるらしい。それに、長い間窮屈なケージに入れられて外に出してもらえてなかったそうだから、体を折り曲げたまま育ったのかもしれない。
そして、ミズナラは「お母さん」でもある。ブリーダーに飼われていた間、何回か出産を経験している。生まれてからずっと劣悪な環境に置かれ、子犬という商品をひたすら産まされていた…、というストーリーを背負った犬である。
◆出会いは突然に
子供たちは子犬を欲しがっていたし、私もかねてから犬を飼ってみたかった。
「せっかく北海道に移住してきたんだから、北海道犬はどうかな」
なんて軽口を言いながら機会をうかがっていたが、北海道犬は貴重でなかなかお目にかかれるものではない。かといって、手近なペットショップにいって子犬を選んで買ってくるというのは、「新しい家族」との出会いのあり方としてどうも不自然な気がして、自分のポリシーが許さなかった(それを是とする人を否定するつもりはないが)。
無邪気に子犬に憧れる子供たちを説得しつつ、妻とも話し合いながら、「いつか必然の出会いがあるはず。その日を待とう」と、流れに身を任せることにしていた。
そんなこんなで2年前のある日。妻からスマホに「出会ってしまった」と連絡が入った。場所を尋ねると、「ペットショップ」だという。「え〜…?」といぶかしがりながらも出かけてみると、そこにミズナラがいた。その店では、販売している犬とは別に保護をした犬を譲渡しているとのことで、価格には利益は含まれず、予防接種や避妊手術に要した費用など最低限。ミズナラに触ってみると、痩せこけて骨が浮き出ていたが、人懐っこくて親しげに足元にまとわりついてきた。目が合った瞬間、妻の言葉の意味がわかった。
◆親バカな日々
「運命的なものを感じて」ーー、一方的だとしても、そんなふうに思い込めることは幸せだと思う。
脚は曲がっているが、全力で走り回れるし、ジャンプもできる。体重も増え、健康だ。ミズナラの瞳の奥には人間に対する「おびえ」が見え隠れしていて、今でも消えることがない。それでも私たち家族にはじゅうぶんに懐いてくれて、ソファに座れば膝の上に飛んでくるし、就寝時には寂しそうに身を寄せてくる。最近は仕事場にまで勝手に入って来るようになり、膝にのせて漫画を描く日もある。
親バカで恐縮だが、かわいい犬だ。終(つい)まで面倒をみる。この犬との出会いも、札幌が結んでくれた貴重な縁の一つである。
(信濃川日出雄)
◆「山と食欲と私」最新19巻(新潮社)→こちらをチェック
参加作家及び監修者
信濃川日出雄/奥西チエ/吉田史朗/魚乃目三太/下窓まみ子/藤本正二・木綿八十子/野村良太(登山家/山岳ガイド)/小野関隆香(山伏/住職)/角幡唯介(探検家/ノンフィクション作家)/渡貫淳子(調理師/南極観測隊員)/増本亮(アルパインクライマー)/服部文祥(登山家/作家)
しなのがわ・ひでお
漫画家。新潟生まれ東京経由、南区在住。大学在学中2001年のデビュー以来、ジャンルを問わず多岐にわたって執筆。ウェブマンガサイト「くらげバンチ」で連載中の代表作『山と食欲と私』は、単行本の販売部数が累計250万部を超えた。「札幌と〇〇と私」のバックナンバーを収録したエッセイ集『地方新聞でエッセイを連載してみた。』は電子書籍にて発売中。
信濃川日出雄/奥西チエ/吉田史朗/魚乃目三太/下窓まみ子/藤本正二・木綿八十子/野村良太(登山家/山岳ガイド)/小野関隆香(山伏/住職)/角幡唯介(探検家/ノンフィクション作家)/渡貫淳子(調理師/南極観測隊員)/増本亮(アルパインクライマー)/服部文祥(登山家/作家)
しなのがわ・ひでお
漫画家。新潟生まれ東京経由、南区在住。大学在学中2001年のデビュー以来、ジャンルを問わず多岐にわたって執筆。ウェブマンガサイト「くらげバンチ」で連載中の代表作『山と食欲と私』は、単行本の販売部数が累計250万部を超えた。「札幌と〇〇と私」のバックナンバーを収録したエッセイ集『地方新聞でエッセイを連載してみた。』は電子書籍にて発売中。
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