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<書評>紙ハブと呼ばれた男

08/04 05:00
<書評>紙ハブと呼ばれた男

森口豁著

沖縄の新聞人 生の軌跡
評 山村基毅(ルポライター)

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 「紙ハブ」、沖縄では新聞記者をそう呼ぶ習わしがあったという。紙は新聞のことで、ハブは毒蛇である。寸鉄(すんてつ)、人を刺すということか。そこには「権力には果敢に立ち向かう」という肯定的な響きがあった。

 本書の主人公、池宮城秀意(いけみやぐしくしゅうい)は戦前の「沖縄日報」、そして戦後の「琉球新報」で活躍した新聞人である。「反骨の言論人」として知られるが、その生の軌跡は20世紀の、激動の沖縄史とほぼ重なってくる。

 若き日には共産主義シンパとして投獄。30代半ばにして召集され、沖縄防衛のため修羅場も経験する。戦後は地元紙の編集長を務めながら、占領軍への異議申し立て、独特の沖縄本土復帰論(国連による信託統治)を展開。新聞社の社長を務めた時は労使関係をこじれさせ、「経営能力ゼロ」の烙印(らくいん)まで押される。まさに毀誉褒貶(きよほうへん)なのだ。

 池宮城の「国連信託統治論」は「日本に帰属しながら、アメリカに基地を貸す」ことを懸念して提示されている。あくまで力点は信託統治ではなく懸念した事態(基地問題)の方だと、今なら理解できる。このことをアメリカとの講和条約さえ締結していない時期(池宮城が社説に書いたのは1951年2月)に予見したところに、池宮城の真骨頂があるだろう。

 あとがきには、もし沖縄が日本から分断されずにいたら、池宮城は「信濃毎日新聞」の桐生悠々(きりゅうゆうゆう)に比肩しうる評価を得ていただろうと書かれている。ただ、その沖縄の地に生きてきたからこそ、池宮城という個性が形成されたとも言えるのだ。

 著者はカメラマンとして、復帰前の沖縄に渡り「琉球新報」で働いた経験を持ち、池宮城という人物にひかれたのも、その頃だという。著者の撮った写真で、浜辺に並ぶ子どもたちを写したものはとくに印象的である。写真には「中卒後、集団就職で本土に出稼ぎに」と説明が付されているが、強い日差しと溢(あふ)れる笑顔は、明日への「期待」を感じさせる。大人は、子どもたちのその期待に応えられたのかどうか。本書は、そのことをも問いかけているのである。(彩流社 2592円)

<略歴>
もりぐち・かつ 1937年生まれ。フリーランス・ジャーナリスト。著書に「最後の学徒兵」など

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