暮らしと法律

「目指せ、お節介!」 虐待から子どもの命をどう守るか 札幌弁護士会・内田信也弁護士に聞く

04/19 09:00

 児童虐待は法律で禁じられています。にもかかわらず、虐待による悲劇が後を絶ちません。子どもへの虐待をなくし、小さな命と人権を守るため、私たちは法律をどのように理解すべきなのでしょうか。虐待問題に詳しい札幌弁護士会の内田信也弁護士に聞きました。(聞き手・報道センター 三浦辰治)


――児童虐待を防ぐための法律と、これまでの経緯を教えて下さい。

札幌弁護士会・内田信也弁護士
札幌弁護士会・内田信也弁護士
 子どもを虐待から守り、その権利を守るための法律は、児童福祉法と、その特別法にあたる児童虐待防止法の2本立てです。もとからあった児童福祉法があまり有効に機能しなかったことから、2000年(平成12年)に児童虐待防止法ができました。以来、2つの法律は幾度となく改正され、その都度、内容の充実が図られてきました。それでも児童虐待の通告件数は増え続けています。これは「子どもの前での親同士の暴力(面前DV)」を警察が「心理的虐待に該当する」として積極的に虐待通告するようになったことが要因の一つとして指摘されています。もともと潜在化していた虐待事案が、法律の拡充によって顕在化したという側面もあるでしょう。しかし、最近の子どもを取り巻く環境、子育て事情をみると、やはり虐待の数そのものが増えている気がします。

道内の児童虐待による検挙数の推移(2019年3月13日 北海道新聞掲載)
道内の児童虐待による検挙数の推移(2019年3月13日 北海道新聞掲載 <水曜討論>児童相談所と他機関の連携

――2018年3月に東京・目黒区で5歳女児が虐待により死亡し、今年1月には千葉県野田市でも小4女児が虐待死するなど、悲惨な事件が相次いでいます。これらを受け、政府は対策を一層強化する方針ですね。

 今年3月に閣議決定された「児童虐待防止対策の抜本的強化について」では、児童福祉法や児童虐待防止法を改正して、法令に「しつけ」としての体罰の禁止を明文化する方針が示されています。日本弁護士連合会はかねて、体罰禁止を法律に明文化するよう求めてきました。体罰がもたらす子どもへの悪影響は科学的に証明されています。今回の法改正で、体罰に対する罰則条項は設けられないようですが、体罰禁止が法律に明示されることは大きな前進だと思います。海外では法律で体罰禁止を明示し、着実に虐待が減っている国も少なくありません。子育てに体罰はいらない、という意識が広がるきっかけになってほしいと思います。

虐待が子どもの脳に与える影響(2019年3月25日 北海道新聞掲載)
虐待が子どもの脳に与える影響(2019年3月25日 北海道新聞掲載 <傷つく脳 深まる孤立>より)

――体罰禁止が明文化されるまでに、なぜこんなに時間がかかったのでしょうか?

 体罰の是非を議論するとき必ず問題となってきたのが、民法で規定されている「懲戒権」との関係です。民法は、親たちに対し、「子の利益のために子の監護および教育をする権利を有し、義務を負う」とした上で、この規定に基づき「監護および教育に必要な範囲内でその子を懲戒することができる」と定めています。この「懲戒」つまり「しつけ」と、体罰との線引きが非常に難しい問題として常に横たわってきました。日弁連では、体罰禁止の明文化とともに、この民法の懲戒規定の廃止も求めてきました。政府は今回、民法上の懲戒権のあり方についても、児童虐待改正法など改正法の施行後2年後をめどに「必要な見直しをする」と踏み込みました。ようやくここまで来た、という感じがします。

――日本社会の一部には「体罰は昔からある」「しつけには必要だ」「やむをえない」といった体罰容認論が根強くありますね。

札幌弁護士会・内田信也弁護士
札幌弁護士会・内田信也弁護士
 私たちの文化・風土の中に体罰を容認する空気があるのは確かです。でも、体罰は本当に昔から日本社会に存在したのでしょうか。物の本によると、日本で子どもに対して体罰が行われるようになったのは明治以降ということです。それ以前、しつけで子どもをたたく行為は日本の文化にはなかった。戦国時代に来日した宣教師フロイスは、当時の欧州では子どもをむち打ちするのが当たり前だったのに、日本では言葉でしかるだけ。なんと子どもを大事にする社会なのだと書き残しています。どうも日本に体罰が根付いたのは、明治の富国強兵のスローガンの中、軍隊で体罰が行われたのがきっかけだったようです。体罰容認論の「昔から」というのは、せいぜい明治以降の話。中世欧州の悪しき伝統に毒されてしまったことが契機なのです。

――法律が充実しても、どこからが虐待か、どこからが体罰か、という線引きは今後も問題になりそうですね。

 それが虐待かどうか判断するには、親の側の視点ではなく、子どもの視点で捉える必要があります。例えば、離婚した母子家庭の母親が、厳しい家計を支えるため夜中に子どもたちを家に置いてパートで働いていたとします。これは虐待(育児放棄=ネグレクト)か、と一般の人に問うと、母親は子育てのために一生懸命なのだから虐待ではないという答えが多いと思います。ところが、母親が夜中にパチンコに行っていた、男性のところに行っていたというと、これは虐待だという声が大きくなる。どちらも、子どもが夜中に放置されている客観的状況は同じです。私たちは、親の事情ではなく子どもの視点からみて、どちらもネグレクトにあたると捉えます。 この場合、虐待ならば親は非難されるべきだ、罰せられるべきだという見方をすると、判断を誤ります。母子家庭で頑張っている母親を、「そんなことで非難してよいのか」「罰してよいのか」という気持ちになってしまうからです。それも虐待であると認めた上で、非難や罰の観点ではなく、そのような状況にある母と子をどうしたら保護できるか、どうしたらサポートできるか、という視点を持つべきです。

――私たちには、児童虐待と思われる事案を察知したら関係機関に通報(通告)する義務があると法律で定められています。通報先として、児童相談所全国共通ダイヤル(189番)も設けられています。実際には、見聞きした状況について、それが果たして虐待かどうか判断に迷い、通報をちゅうちょする人も多いようです。その場合、子どもの視点、親子をサポートする視点をもとに判断すればよいということですね。

 のぞき見や聞き耳が横行して、隣近所同士で監視し合うという雰囲気になると窮屈ですが、私は健全な「お節介」は大切だと思います。昔はお節介おじさん、お節介おばさんが近所にいたというじゃありませんか。隣近所の家で大変なことが起きていると感じたら、関心を持って世話を焼く。親を懲らしめる、罰するという見方ではなく、近所の親子が大変な状況にある、何とかサポートしてあげないと、という観点で関係機関に知らせてみる。それをもとに児童相談所が調べ、結果的に虐待ではなかったというなら、それでいいじゃないですか。健全なお節介が子どもの命を救うかもしれない。「目指せ、お節介」と言いたいですね。

<うちだ・しんや>1954年、留萌管内羽幌町生まれ。東北大法学部卒。86年に札幌弁護士会登録し、北海道合同法律事務所に入所した。若手のころ、北炭新夕張炭鉱ガス爆発事故の損害賠償請求、国鉄分割民営化採用差別事件の不当労働行為救済の両裁判に関わり、「人権は闘いとらなければならないことを教えられた」という。最近は、児童虐待や少年非行の問題に積極的に取り組み、日弁連子どもの権利委員会幹事、札幌弁護士会子どもの権利委員会委員、NPO法人子どものシェルターレラピリカ理事長などを務めている。

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