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<書評>わたしもじだいのいちぶです

04/14 05:00
<書評>わたしもじだいのいちぶです

康潤伊、鈴木宏子、丹野清人編著

少数者が得た自己表現の言葉
評 中村一成(フリージャーナリスト)

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 植民地主義の暴力と、貧困と差別で学びを奪われ、生活のさまざまな局面で不利益を被ってきた在日のハルモニ(おばあさん)と、中南米出身の日系人女性たち。彼女たちが川崎・桜本の識字学級で得た言葉で綴(つづ)った作文を収めた本著は、「共生の街」からのギフトである。

 自分たちを社会の周縁に追いやる、いわば「世界」の門番だった文字が、逆に世界を開く友達になる。それは人間にとってどれほど大きな経験か。学びは凍土の下で眠っていた自尊感情を芽吹かせ、彼女たちの経験に「価値」を与えていく。少なからぬ人がその後、「語り部」となった。自らを表現することは魂の根源的欲求だ。それを解き放ったのがこの場だった。

 そこで学ぶ言葉が、彼女たちの人生を歪(ゆが)めた旧宗主国の言語という事実には留意しなければいけないが、そこに拘泥しては本質を見失う。教える者も「共同学習者」として、集う者すべてが互いを尊敬し合う関係性から紡がれた言葉には、学び、書く「至福」が満ちている。

 故郷や父母、子孫への思い。時々の内省、さらには書き、語る「辛(つら)さ」まで。ふぞろいで角張った文字から、彼女たちの喜怒哀楽が立ち上がる。それは秘してきた胸中の思いを整理する過程でもある。いや応なしに向き合う死や、時代の証人としての戦争への怒り。彼女らを狙ったヘイトデモについても書いている。差別への憤りと共に記されるのは「仲よくしよう」との呼びかけだ。おおらかで優しいだけではない。そこには「仲よく」しなくては生きられぬマイノリティーの実存がある。

 標題もハルモニの一言である。時代の暴力に翻弄(ほんろう)され、思うにままならぬ人生を強いられてきた彼女が、文字を覚え、世界を言分(ことわ)けた時に記した思いが、「わたしもじだいのいちぶです」だったことに私は心震える。解説との間を往復しつつ、「取り返しのつかなさにたじろぎながら」彼女たちの刻んだ言葉を受け取り、応答してほしい。私、私たちにはその義務がある。(日本評論社 2160円)

<略歴>
かん・ゆに 在日朝鮮人文学など専門。すずき・ひろこ ふれあい館高齢者識字学級の共同学習者。たんの・きよと 首都大学東京教員

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