生活情報

日頃の工夫どう生きた 市民が得た教訓は

09/12 05:00
地震後、道内各地のガソリンスタンドには給油を求める車の長い列ができた=6日、帯広市内
地震後、道内各地のガソリンスタンドには給油を求める車の長い列ができた=6日、帯広市内

 道内初の最大震度7を観測し、多数の死傷者を出した胆振東部地震。道内全域が停電し、各地で断水も発生。食料確保も難しくなるなど道民生活は大きく混乱した。地震後、日頃の生活の工夫がどう生かされ、どんな教訓を得たのか―市民の声を集めた。

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■多くの保冷剤を冷凍室に

 日頃から保冷剤をできるだけ多く冷凍室に詰めており、停電しても冷蔵庫の中の食材を保存するのに役立ちました。ガソリンもまめにメーターを確認し、残量が半分以下になったら給油するよう心掛けていたので、心配はなかったです。すべて東日本大震災で得た教訓。農村部で隣の家まで200メートル離れていることもあり、災害への危機意識は日頃からありました。友人たちと会員制交流サイト(SNS)のグループをいくつかつくり、そこで情報交換できたのも心の支えになりました。帯広市・羽賀陽子さん(52)=団体職員

■キャンプ用品が役立つ

 今年は何度かキャンプへ行っていたので、少ない道具での調理経験や、ランタン、懐中電灯などを確保していたことが役立ちました。娘(5)も暗闇を経験していたので、あまり怖がりませんでした。情報はSNSでいろいろ入ってきましたが、結果的に混乱することが多く、電池で動くラジオや信頼できる情報源の確保があると良かったなと思いました。札幌市中央区・高橋さやかさん(38)=食育フリーマガジン編集長

 キャンプで使うアウトドア用品が役立ちました。近くに住む両親を呼んだ6日夜、寝具代わりに寝袋やテント用マットが活躍。お客様用を常備する必要がなく、整理収納上も効率的です。6日深夜まで停電して不便でしたが、使い慣れたキャンプ用のランタンやコンロを使ったので調理もスムーズでした。札幌市北区・竹部礼子さん(44)=整理収納アドバイザー

■いつも通り喫茶店営業 常連客集い気持ち落ち着く

 停電時に使える照明が懐中電灯1本しかなく、6日夜は仏壇にあったろうそく2本で過ごしました。東京で戦争を体験しましたが、防空壕(ごう)で過ごした夜を思い出しました。電気に頼り切った生活をしていたと思い知らされました。店には大きな被害がなく、当日は停電中でしたが、日中は明るいので、いつも通り営業しました。災害時に自宅で1人でいると不安だけが膨らんでしまいます。店を開けておけば常連客が集まって話ができ、気持ちも落ち着きました。胆振管内白老町・相吉京子さん(78)=喫茶店経営

■医療的ケア 懐中電灯の光で

 医療的ケアが必要な娘(15)がいます。わが家が停電から復旧したのは7日の午前2時半ごろ。その間の照明はろうそく1本と懐中電灯のみだったので、かん腸や投薬といった医療的ケアは懐中電灯の光で行いました。停電でドラム式洗濯機のドアが開かなくなって、中のものを取り出せなくなってしまったのには困りました。
札幌市西区・吉田美知代さん(45)=患者会「トーチの会」道支部長

■難病患者への対応考えて

 自宅が停電、断水しました。皮膚の難病、表皮水疱(すいほう)症なので、毎日のガーゼ交換と入浴が欠かせません。ガーゼや被覆材、薬は常備していましたが、入浴できないのは困りました。丸2日以上たった8日、北海道難病センター(札幌市中央区)で入浴可能という情報が入り、そこで、ようやくシャワーを浴びることができました。難病を抱えた人は、避難所に行けなかったり、行ってもずっと滞在することは難しい。今後、災害時の対応を早急に考えねばならないと思います。札幌市北区・宮本恵子さん(63)=北海道難病連理事

 マンションの9階で娘と2人暮らし。災害情報を知るのにラジオが役立ちました。近くの公園の水道が使え、水はペットボトルなどに入れて確保。自宅のそばに充電スポットができ、携帯電話が充電できました。夜は段ボールの内部にアルミ箔(はく)を張り、中に懐中電灯を立てると光が天井にぶつかり部屋中が薄明りになり、大きめのインテリア用キャンドルと交互に使いました。札幌市西区・西原桂子さん(81)=団体所属

 生後5カ月~小学5年生の4人の息子を育てています。阪神大震災の被災経験から、スーパーやガソリンスタンドに行列ができそうだと予測し、6日朝から車のガソリンと紙おむつ、水の確保に動きました。子連れで行列に並ぶのは、つらい。LINE(ライン)でママ友と連絡を取り合い、空いている店を探しました。空知管内奈井江町・藤原聡子さん(40)=自営業

 停電直後は札幌市中央卸売市場に向かう直前でした。1973年のオイルショックを経験し、「多くの人が買い物に来るはず」と普段通りを心がけ、野菜や果物を仕入れました。店に戻った午前10時ごろ、お客さんは普段の倍以上はいたと思います。「商品はあるからあまり慌てないで」と声掛けをしました。札幌市豊平区・椿原伸太郎さん(74)=青果店経営(くらし報道部取材班)

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