文化・芸能

<書評>百年の女 『婦人公論』が見た大正、昭和、平成

08/19 05:00
<書評>百年の女 『婦人公論』が見た大正、昭和、平成

酒井順子著

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生きづらさ生む画一的女性観
評 石田あゆう(桃山学院大准教授)

 敗戦後の憲法改正を経て、「男女平等」は実現したはずなのに、なぜだか生きづらい。気のせいだろうか、「私」はけっこう自由に暮らしているハズなのに…。世の「女」の生態をつづるエッセーで好評を得てきた著者が、「婦人公論」(1916年創刊)を素材に、100年にわたる女性の不思議を読み解いたのが本書である。女性のみならず人々の生き方は多様化してきたにもかかわらず、本書を読むと、メディアの「女」の取り上げ方にはステレオタイプな一定の枠があるとわかる。

 なにより驚かされるのは、現代から見ると違和感だらけの女性(婦人)の扱いが、それほど問い直しもされずに放置されてきたことだ。「婦人と言えども人である」(日本女子大創設者・成瀬仁蔵<明治>)、「女子は生むために生まれてきたのだ」(ハンセン病患者隔離施設・全生病院医官<昭和前期>)、「不びんな子ほど一代で独身で終わらせなければなりません」(同)などの「トンデモ」言説が掲載されたのは、明治や戦争の時代だったからなのか。それに比べれば、今はマシな社会なのだから、波風立てずに「笑ってスルー」が大事なのか。だがこうした考え、価値観は今もあるのではないか。著者はそこまで踏み込んでいないが、そう問い直してみる意味はあるだろう。

 「(原子力発電は)女の論理からいうと、安全性についてどうしても心配が抜け切れ(ない)」(高原須美子、74年)、「とくべつな女でなくても、どんな女でも、仕事も家庭も両方持てて当たりまえ」(上野千鶴子、85年)、「(男並みではなく)おんな並みでどこが悪い」(同)との「女の言論」は、当時は「男の論理」から振り返られなかったかもしれないが、著者も言うように、今でこそ世に響くだろう。

 平成が終わろうとしている今、「女」がどう扱われてきたのかを振り返り、世の生きにくさを考えてみるのも悪くない。なぜならそれは「女」だけの問題ではないはずだからだ。(中央公論新社 2160円)

<略歴>
さかい・じゅんこ 1966年生まれ。著書に「負け犬の遠吠え」など

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