第51回北海道新聞文学賞

<詩部門>選評

2017/11/11 09:00

 笠井嗣夫 悼みと祈りが輝き生む

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 今年は、例年にもましてすぐれた応募作が多く、順位をつけるのはとても困難だった。

 『少女の家』は、飛躍するイメージと微細に変化するリズムが複雑かつ緻密に関係しあって、未知なる言葉の世界(=詩)を現出させる。底流には亡きひとへの悼みと祈りがあり、哀切さに、詩は輝く。『黄色い木馬/レタス』は、ゆがんだ現実の残酷さ、残忍さを体感させる。二元的な構成と視点が、幻想的でありながら、出来事のただなかにおかれるような、強度とリアルさをもたらしている。

 『痛みのペンリウク』では、情念の強烈なほとばしりが衝撃的だ。後の世代へのやさしい語りかけも胸にしみる。散文を別冊にすると、詩篇(へん)がより際立つだろう。『る』では、身体のなかでも特異な部位としての「爪」を徹底して凝視することにより、ありふれた日常がさまざまに変容する。後半、公共言語への鋭敏な感覚と併せ読むとき、吉田正代のもつ、繊細だが強くしなやかな詩の世界が見えてくる。


 工藤正廣 ユカラの声よみがえる


 藤田民子さんの『少女の家』。描写の修辞が冴(さ)える。家族、母や弟の死を悼み天空に転位させる。そのとき自分の少女期への回帰。北方的(吉田一穂(いっすい)を想起させるような)硬質なリリシズムによって、釧路の地が宇宙的な幻想空間に一変する。「氷河」の母像とセルゲイの声は絶唱であった。

 次に土橋芳美さんの『痛みのペンリウク 囚われのアイヌ人骨』は、ページを惜しみつつ一気に読み終える。魂の底から、ついにユカラ(英雄叙事詩)の声が今によみがえった。久しく排除されてきた歌の復活。主題は〈静かな大地〉、アイヌ・モシリのカムイの精神で歌われる。遺恨ではない。人としての良心ゆえに。ペンリウクの声が作者にのり移って語りだす。切なる隣人愛と寛大さ。ペンリウクによって救われる思いが湧く。

 以上この二詩集で選考に臨んだ。ペンリウクの歌は今、世界の何処(いずこ)でも必要な声に違いない。


 松尾真由美 真摯さに感じた将来性


 藤田民子の『少女の家』は作者独自の言語感覚によって、看取(みと)っていく側の慟哭(どうこく)も詩の昇華として提示される。予測できない終わりをむかえる作品が多いのは、それだけ詩的飛翔(ひしょう)に満ちている証左だが、作り事にならないのは対象に対しての実感を主体が手放していないからだ。女性らしい柔らかな形容やカタカナの使い方も詩の膨らみとして享受しつつ、完成度の高い詩集という感触を持った。

 草野理恵子の『黄色い木馬/レタス』は不気味なものや不条理的なものを描き、そうしたところが常識的な感覚も覆す。普通ではないことの肯定が根幹にあり、それは表面的な綺麗事(きれいごと)や詭弁(きべん)的なものの否定に通じ、真摯(しんし)さが筆力を支えていることに将来性を感じた。土橋芳美の『痛みのペンリウク』は副題にある「囚(とら)われのアイヌ人骨」という事件の当事者としての叫びが凝縮されている。北海道の歴史の一端を我々(われわれ)が噛(か)みしめるための詩集でもある。

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