<訪問>「日本人が海外で成功する方法」を書いた 松井大輔(まつい・だいすけ)さん

09/02 05:00

松井大輔

8クラブの経験 若手の手助けに

 6、7月にロシアで開かれたサッカーのワールドカップは、下馬評を覆した日本代表の16強入りに国中が沸いた。主力のほとんどが海外組だったが平均年齢が高く、次の大会へ若返りが急務だ。「少しでも海外を目指す選手の手助けになれば」と、あまたの海外クラブを渡り歩いた元日本代表が経験をつづった。

 京都出身。憧れの存在だった三浦知良(かずよし)選手がクロアチアのクラブから地元の京都パープルサンガ(現・京都サンガ)に移籍したこともあり、鹿児島実業高から入団。海外について大先輩に尋ね、「行った人にしか分からないことがある」と言われたのは今も記憶に残る。中学時代にフランスに短期留学しており、23歳で初めて海外挑戦した際は比較的パリに近いル・マンに移籍。以来、ロシアやポーランドなどの海外8クラブで足掛け11年プレーした。現在はJ2の横浜FCに所属する。

 海外挑戦でまず突き当たるのが言葉の壁。通訳がずっと付くことは、欧州ではまれだ。最初はほとんど話せなかったが、京都時代に元韓国代表の朴智星(パクチソン)選手やブラジル人選手らと過ごした経験から、ピッチの内外で積極的にコミュニケーションを図った。「いろんなことを駆使して仲間に入ることが重要。もしくは最初から結果を出すか。その2択しかない」

 長年プレーすれば良い時期ばかりではない。監督交代で起用されなくなり、負け試合の後には車がボコボコにされていた。紛争中のチェチェン共和国での試合では命の危険を感じながらプレーしたという。移籍の秘話も興味深い。パリ・サンジェルマンFCやポルトガルのスポルティングなど名門からも誘いがあったが幻に。「海外マーケットの事情や代理人の力関係などいろいろな要素がある。どんな選手でも一度は失敗しているのでは」と冷静に振り返る。

 ユース年代は日本で過ごし、Jリーグで活躍してから海外に挑戦することを勧める。それが、けがの時に頼ることができ、帰る場所をつくることにつながると考えるからだ。「日本代表の監督でもいいと考えていた」というペトロビッチ監督が指揮する北海道コンサドーレ札幌の変化に驚きつつ、U―21日本代表の主力である三好康児選手に注目している。

 37歳と、選手としての日々は少しずつ終わりに近づく。それでも日々進化する欧州のサッカーに魅力を感じる。「その変化を間近で感じることは何ものにも代え難い。選手である限り、海外でプレーしたいという思いは変わりません」

東京報道 大原智也