#北方領土考

四島交流の歴史とは

 第2次大戦後、北方領土は旧ソ連・ロシアによる実効支配が続いてきたが、平成に入り元島民らのビザなし交流や周辺海域での日本漁船の操業など、北方四島を巡る交流は徐々に広がってきた。ただ領土問題は解決せず、元島民らの間には不満もくすぶる。政府は四島でロシアとの共同経済活動を進め、交流をさらに拡大する考えだが、返還の道筋は見えるのだろうか。



■ビザなし渡航が拡大

 「望郷の島に第一歩」。平成4年の1992年5月12日。北海道新聞夕刊は、ビザなし交流で日本側訪問団が初めて北方領土の国後島を訪れ、ロシア人島民らに歓迎される様子を1面トップで大きく伝えた。

 東西冷戦期、旧ソ連は四島への日本人の渡航を、元島民らの墓参を除き厳しく制限した。一方の日本政府も、日本人が旧ソ連の査証(ビザ)を取得して北方領土を訪れることを懸念。平成元年の89年には閣議了解で、北方領土訪問の自粛を国民に要請した。

 その「壁」に穴が空いたきっかけは91年だった。旧ソ連の元首として初めて来日したゴルバチョフ大統領が、北方領土との「ビザなし交流」を提案。領土問題解決までの相互理解促進を目的に、双方の法的立場を害さない形でビザなし交流が92年に始まった。

 99年からは元島民や家族らが古里を訪れる「自由訪問」が始まり、ビザなし交流では訪れることができなかった歯舞群島への訪問も可能になった。

 渡航手段は長年、船に限られていたが、日ロ首脳の合意を受け2017年9月に航空機で北方領土を訪れる空路墓参が初めて実現。ビザなし交流、自由訪問、墓参という三つのビザなし渡航の枠組みで、四島を訪れた日本人は17年度までに延べ約2万3千人に上る。

 91年に旧ソ連が崩壊し、経済の混乱などが続いたロシア側は、日本との関係改善や経済協力に期待した。一方の日本側も領土交渉が停滞する中、四島への関与強化を模索し始める。

 世界有数の漁場とされる四島周辺で漁をする日本漁船がロシアに拿捕(だほ)される問題が相次いだことを受け、両政府は98年に四島周辺水域での日本漁船の操業を可能にする安全操業協定に合意。日本漁船が違反した場合の手続きを定めないなど、管轄権に触れないよう双方が配慮した内容だった。

 90年代の日ロ交渉に深く関わったパノフ元駐日大使は、ビザなし交流や安全操業に対し「当初、日本側は反対だった」と明かす。日本側にロシアの実効支配を強めかねないとの警戒感が根強かったためとみられるが、外務省欧亜局長などを務めた東郷和彦京都産業大教授は「四島の現場で起きる緊張の緩和は欠かせなかった。交流の推進と領土交渉自体は、まさに車の両輪だった」と振り返る。

■ロシア、実効支配強化

 日本政府は、90年代から北方領土に人道支援として物資などの供与も続けてきた。ただ、2000年代にプーチン政権下で経済が安定すると、ロシア政府は独力で四島開発を進め、実効支配を強化する姿勢を強めていく。09年には日本の人道支援物資を受け入れないと通告。ビザなし渡航でも近年、ロシア側が日本人に自国法の適用を求めるなどして、トラブルになるケースが増えている。

 四島のロシア化が進む中、安倍晋三首相とプーチン大統領が16年に検討開始で合意したのが四島での共同経済活動だ。これまで日本政府が認めてこなかった経済人の四島渡航や経済活動が可能になれば、人やモノの往来は劇的に増える。安倍首相は共同経済活動を平和条約締結に向けた「重要な一歩」と位置づけ、その実現によって「さまざまな富や雇用が生まれ、互いを理解する友情も生まれてくる」と強調する。

 19年10月から11月にかけて、共同経済活動の試験事業として日本人の観光ツアーが国後、択捉両島を訪問した。日本人が観光目的で公式に北方領土を訪れるのは初めてで、元島民らを対象にしたビザなし渡航の枠組みを活用した「1回限り」の特例措置として行われた。日本政府は20年以降に四島ツアーの本格的な実施を目指すが、実現にはツアー客らの四島往来を可能にするための新たな渡航枠組みが必要になる。

 ロシア側では、自国が実効支配する四島の主権問題を棚上げしてビザなしの渡航を日本側に認めていることについて、軍や治安当局を中心に不満の声が出ている。四島交流の拡大には高いハードルが待ち受けている。

PR
ページの先頭へ戻る