PR
PR

「文吉港に避難していれば」 56年前の海難後、知床岬近くに整備 教訓生きず漁師ら心痛

 【斜里】オホーツク管内斜里町のウトロ漁港を出発した観光船「KAZU Ⅰ(カズワン)」(19トン)が沈没した知床半島西側の海域では、56年前にも低気圧による大しけでイカ釣り漁船2隻が被害に遭う大規模な遭難事故が発生し、25人の死亡・行方不明者を出した。事故後に知床岬近くに避難用の文吉(ぶんきち)港が整備されたが、しけが見込まれる中、出航したカズワンが避難することはなかった。生かされなかった教訓に知床の海で生きてきた漁師たちは心を痛めている。

 「文吉港に避難していれば、ウトロ漁港に戻って来られただろう」。斜里町ウトロの漁師大瀬初三郎さん(86)はカズワンの事故を悔やむ。

 2隻の事故は1966年10月28日夜に発生した。ウトロ沖で操業中だった青森県大畑町(現むつ市)の「第10竜運丸」(54トン)が転覆、乗組員20人のうち11人がゴムボートで岸に漂着して助かったが、1人が漂流中のボートで死亡し、8人が行方不明になった。

 さらに、函館市の「第10永宝丸」(29トン)もウトロ沖で消息を絶ち、翌29日朝に船名が記された救命具が発見されたが、船体と16人の乗組員は見つからなかった。2隻とも無理な航行で避難が遅れたとみられている。

 大瀬さんは定置網の網揚げ中の29日朝、岸に打ち上げられたゴムボートを発見。ボートの中には、寒さに身を震わせる第10竜運丸の乗組員たちがいた。仲間の漁師が漁船でウトロ漁港まで搬送し救助した。ボートが漂着したのは、今回のカズワンの沈没地点から南方に約5キロの海岸だった。

 事故を受け斜里町は避難港整備を国に要望。77年に知床岬から約1・5キロの半島西岸に文吉港が完成した。断崖が続く海岸線では数少ない平地にあり、しけの時は漁船が逃げ込むこともある。大瀬さんは「文吉港ができてから大きな海難事故はなかったのに」と嘆く。

残り:419文字 全文:1280文字
続きはログインするとお読みいただけます。

【関連記事】
⇒発生から20日目、12人の手がかりなく 知床遭難事故
⇒定点連絡でのアマチュア無線常用認める カズワン運航会社
⇒知床沖長距離コース、今季は中止 斜里の観光船3社が決定

北海道のニュースがメールで届く
PR
ページの先頭へ戻る