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<シリーズ評論・ウクライナ侵攻⑪>自らの手を縛る軍事作戦 北海道侵攻、理由見当たらない 東大先端科学技術研究センター専任講師 小泉悠氏


 <こいずみ・ゆう>1982年、千葉県出身。早大大学院修了。民間企業勤務後、外務省専門分析員、ロシア科学アカデミー客員研究員、未来工学研究所研究員などを経て、2022年1月から現職。専門はロシアの軍事・安全保障政策。39歳。

◇ ◆ ◇


■陰惨極まる恐怖政治

 ロシア軍の撤収後、ウクライナ首都キーウ(キエフ)近郊ブチャで見られた陰惨な光景が、国際社会に与えたインパクトは大きかった。道の上に自転車に乗った格好のままの人が倒れているなど、普通に人々が暮らしてるところにロシア軍がいきなり砲弾やロケット弾を撃ち込んでいたという、無差別攻撃の証拠だった。ウクライナをナチスから解放するのだと言っていたロシア軍が、ここまで陰惨極まる恐怖政治を行ったことが明るみに出た。今回の戦争の大義そのものを疑わせるものだった。

 南東部の港湾都市マリウポリも激戦が続く。ロシア軍にとっては、南部クリミア半島から東部ドンバスまでをつなぐ回廊確保に向けた「最後の1ピース」であり、東部2州の完全制圧には欠かせないと捉えている。ウクライナもその事情は重々承知しているからこそ、外界から隔離され、補給も来ない状態でも驚異的な粘りを見せて抵抗を続ける。ただ、戦闘が長引くほど民間人の被害や、人道危機が広がることも忘れてはならない。

 マリウポリはこれまで持ちこたえることで、軍事用語でいう「拘束」を行った。ロシア軍の兵力をそこに拘束することで、他の地域に向かわせないという意味だ。ここを守り切れるかが今後の戦争の趨勢(すうせい)を決するので、ウクライナ側には「アゾフ海沿いを完全にロシアのものにしない」という意識が働く。拘束が解けたときにロシア軍がどこに向かうかが、次の戦況を左右する。

 米国防総省の評価では、既にロシア軍の兵力は2割が損耗しているとされる。軍隊は3~4割損耗すると作戦が成り立たなくなると言われ、今はその半分ぐらいまで消耗しているのだと推察できる。

■定石外れの攻撃

 なぜロシア軍は、ここまで苦戦しているのか。2月24日にロシア軍が侵攻し始めた当初は、数日でキーウが陥落すると言われたが、マリウポリも予想外の長期戦となった。分かってきたのは、プーチン大統領が始めた戦争が極めて中途半端だったことだ。15万人の兵力を集めたとされ、ロシアの地上兵力の半分近くを動員したと思うが、決して十分でなかった。ウクライナ軍も15万人ぐらいは地上兵力を持っている。ゼレンスキー大統領が総動員令を発動したことで、18~60歳の男性が動員され、さらに数が増えている。ロシアは決して数的には優勢ではなく、場所によっては劣勢だった可能性もある。

 そうした場合、ロシアが通常やることは普通は一つだ。外側から自分で攻めに行くわけだから最大の利点は攻撃するタイミングと場所を選べることで、一番都合のいい時に、都合のいい場所から攻める。ウクライナの兵力をなるべく分散させて、どこから攻めてくるか分からない行動を取り、最も手薄なところから攻めるのが定石だが、今回はそれをしていない。全正面から攻めており、その攻撃が振るっていない。

 あるいは大規模な空爆とサイバー攻撃、電子戦を仕掛けて、ウクライナ軍が全く組織的に作戦ができないようにしてから攻める。これらはどれもロシアの軍事思想の中では、オーソドックスな考え方だが、今回はどの定石にも当てはまっていない。今後、歴史研究の対象にならなければ真相は分からないが、なぜここまで「下手くそな戦争」を展開しているのかは、謎だらけだ。ロシアは自分の手を縛るような変な軍事作戦をやった。これだけは拭えない事実だ。

 プーチン氏の世界観のようなものを考えてみると、「ウクライナはそんなに激しくロシアに対して抵抗はしないはず」「ウクライナという国家は非常に弱体だから、簡単に瓦解(がかい)するはずだ」といった侮りが根底にあったのかもしれない。あるいは、プーチン氏が昨年7月の論文以来主張している「ロシアとウクライナは一つ」という考え方。「本来一つだったウクライナとロシアがバラバラに分かれているものを統一するのだから、歓迎されるだろう」といった思い込みが働いたのではないか。

 思い返せば1990年代のチェチェン戦争でも、「チェチェンの制圧は無理」と周囲はみんな分かっていたのに、政権内で言い出せない構造があった。あの時よりも独裁化が進んだプーチン政権下で、将軍たちも何も言えなかったのではないか。側近のショイグ国防相は、果たしてプーチン氏の行動をいさめる力を持っていたのか。さまざまな疑問が浮かんでくる。

■情報戦、人々にも耐性

 ロシアは(クリミアを編入した)2014年には、現地の情報を遮断して意図的に「新しい政権はロシア系住民を虐殺する」などの偽情報を流した。戦争だか何かよくわからない状況で、突如、ロシア軍が入ってくる。そこに大量の偽情報を浴びせた。だが、その効果を発揮できたのは誰も直面したことのない事態だったからで、今回の戦争では成功していない。8年に及ぶロシアとの戦争がドンバス地域では続いており、ロシア軍も昨年から集結を続けてきた中で起きた戦争だ。相当、人々の心構えはできていた。

 今回は、誰がみてもロシアが侵略戦争をしている。そこにプーチン氏は、大義としてロシア系住民を組織的に虐殺しているとか、核兵器をつくっているとか、ゼレンスキー政権がナチスであるとか、世の中の大半の人々はまず信じないことを言っている。日本でもプーチン氏の言うことを信じる人は一定程度いるが、大多数ではないだろう。一部の陰謀論者、極端な人々を勢いづかせる以外には、ロシアの情報戦は成功していない。

 さらにゼレンスキー政権の情報発信のうまさも加わった。お笑い芸人出身というゼレンスキー氏のキャラクターによる部分と、この8年間でウクライナが学んだ部分もある。通信アプリ・テレグラムに窓口をつくり、「ロシア軍をみたら報告しろ」ということをやった。住民から集まってくる情報などからロシア軍の配置をつかんで反撃に出ている。古典的な軍隊の偵察活動と、おそらく米国から仕入れた情報などを掛け合わせた情報戦を展開している。

 国際的なメディアプラットフォームの努力も無視できない。例えば、メタ(旧フェイスブック)は、ウクライナ情勢に関する虚偽情報が拡散されないように投稿への監視を強化し、フェイクが疑われるロシアメディアの投稿には警告をつけるなどしてきた。これまで「余りにも野放し」といった批判を受けてきており、いわば自主規制のようなものを行っている。

 そして、米国の起業家イーロン・マスク氏は、ウクライナで衛星インターネット接続サービス「スターリンク」の提供を始めた。ネット環境が遮断された地域に対して、つながりを確保する手段を作った功績は大きい。ロシアもネット上に流れる情報の威力みたいなものは認識はしていたはずだが、一人一人、スマホを取り上げるわけにもいかず、今回はウクライナ国民のネット接続そのものを完全に絶つことができなかった。

■極端なシナリオ

 今回のウクライナ侵攻をみて、ロシア軍が北海道にも攻め込んでくるのではと心配する声も聞くが、短期的に考えると無理だ。そもそも極東にいる兵力自体が非常に少ない。防衛白書によると、極東全体でも兵力は8万人ほどで、日本の陸上自衛隊(約13万8千人)よりずっと少ない。極東の兵力を運ぶ船もなく、さらに日本の海上自衛隊と航空自衛隊を突破した上で、北海道まで上陸させるだけの戦力があるかというと、これもロシアの極東の空・海軍にはない。

 唯一有り得るとするなら、いきなり核攻撃をして自衛隊の基地を先制攻撃で完全壊滅させてから上陸するぐらいだが、非常に極端なシナリオであるし、そこまでして、ロシアが日本に攻めたい理由は、どうしても見当たらない。

 今回の戦争後、ロシア軍の極東の主力部隊はウクライナに移っている。8万人は平時の数字であり、今はその半分か3分の1ぐらいだろう。3月に北方領土で演習し、国後島の演習の明かりが見えたというニュースが流れた。派手にみえるが、ロシア側発表のニュースでは戦車も大砲も出てこない。兵隊が肩で担ぐような武器の訓練しかしていない。主力兵器を動かせる人たちはみな、ウクライナに移っているとみられる。

 3月中旬にはロシア海軍の戦車揚陸艦計4隻が、津軽海峡を抜けて日本海側に進んだのが確認されたが、これはロシア極東カムチャツカにいる「第40海軍歩兵旅団」を運んでいたのだとみている。極東の軍事戦力をウラジオストクや黒海に運ぶため津軽海峡を通るのが最短ルートと考え、軍の行動が筒抜けになるのを承知の上で通ったのだろう。昨年からは東部軍管区を構成する大規模な第35軍と第36軍が両方ともウクライナに送られている。キーウ周辺を攻めていたのもまさにこの部隊で、「軍管区丸ごと引っ越し」のようなことをやった。

 2月にはロシア海軍がオホーツク海周辺で大規模な訓練を行ったが、地上部隊が空っぽになったので、せめて残った海と空だけで「攻めてくると怖いぞ」と見せる意図があったのだろう。長年、ロシア軍の動向はみてきたが、例年よりも変わった軍事活動だったとか、日本に対する脅威度が上がったという感じは、私は受けていない。一方で、防衛省が一連のロシア軍の演習活動に関して、「示威行動」などと政治的意図を評価する文言を発表したのには驚いた。これまで淡々と事実しか述べない発表を続けてきたためだ。防衛省のロシア軍への向き合い方が一変し、戦時下モードに入ったのだと感じた。

 今後、北方における日ロの軍事的な緊張は直視せざるを得ないが、ロシア軍が北海道に攻めてくるとか、日ロ間の軍事紛争になるといった蓋然(がいぜん)性は決して高くない。抑止力として一定の軍事力を北に持っておく発想は大事だが、あくまでもメインは中国だろう。

 日本は、南西(=中国)と北方(=ロシア)の2正面に備える能力はない。金も、人も、そんなに集まらない。限られた1正面の軍事力でやるということを考えると、喫緊の脅威である中国に対し、いかに抑止力を発揮するかが重要となる。基本的にはこれまで進めてきた「南西シフト」、あるいは多国間連携による対中抑止という路線は、私は正しいと思っている。北方は現状維持という形に落ち着くのではないか。

■「5月9日」以降も続く?

 ロシアでは5月9日の対独戦勝記念日は特別だ。ロシアにとって大きなイベントなので、プーチン氏がここまで勝てていないと、非常に格好悪いということは間違いない。ただ、それまでに大きな成果を出して、それで戦争が終わりになるという保証はない。その後も続いていく可能性はある。

 プーチン氏は、シリアに軍隊を派遣した後に3度撤退を宣言したが、結局、まだ(駐留が)続いている。5月9日に勝利宣言のような演説を行ったとしても、その後も普通に戦争が続くということは十分あり得る。一つの区切りではあるが、戦争の終わりだとみなすべきではない。今、戦争の終わりを見通せるようなシグナルは少なくともない。プーチン氏もゼレンスキー氏も諦める気配は感じない。

 心配なのは、ウクライナで総動員令があまりにも長く続くと、ゼレンスキー氏が独裁化する可能性があることだ。ウクライナはウクライナの民主体制を守りながら戦うのでなければ意味がなく、いつまでも戦時体制であることに関して、ウクライナの社会がどうなるかが心配だ。その間に失われる命や、国土が荒廃するというのは大問題で、戦争がいつまでも長引くことは良くない。(聞き手・古田夏也)

◇ ◆ ◇

 ロシアのプーチン大統領は、なぜウクライナへの全面侵攻に踏み切ったのか。どうすれば戦禍の拡大は食い止められるのか。日本や世界はロシアとどう向き合うべきなのか。各分野の専門家に聞きました。

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