PR |
|
---|---|
PR |
<シリーズ評論・ウクライナ侵攻④>NATO・西側諸国の足元を見たロシア 日ロ関係はしばらく休眠 慶應義塾大総合政策学部准教授 鶴岡路人氏
<つるおか・みちと>1975年、東京都出身。慶応義塾大法学部卒業。ロンドン大キングス・カレッジで博士号取得。防衛研究所主任研究官、英王立防衛安全保障研究所訪問研究員などを経て現職。専門は現代欧州政治、国際安全保障。46歳。
ロシアがウクライナに侵攻した背景には、北大西洋条約機構(NATO)を中心とした西側諸国の足元を見たことがある。
バイデン米大統領は対中国に力を入れ、2021年8月にアフガニスタンから撤退し、同12月に「米軍はウクライナに派遣しない」と明言した。侵攻前のドイツやフランスの仲介努力は、ロシアに外交的解決を模索しているアピールに利用された。
ロシアが最も恐れることはNATOによる軍事介入だが、侵攻後、NATOは逆にロシアに一方的に抑止されている状態だ。ロシアはNATOによるウクライナ上空の飛行禁止区域設定や同国への戦闘機の供与を阻止したい。ロシアは「それは参戦と見なす」と脅し、NATOはその都度、行動を躊躇(ちゅうちょ)してきた。
それは、ウクライナがNATOの加盟国ではない点に起因する。バイデン氏も「防衛義務がない」と明言している。実はここにNATOとウクライナ、ロシアの悲劇的に不幸なボタンの掛け違いがあった。
08年、ルーマニア・ブカレストで開かれたNATO首脳会議の共同声明では、ウクライナを「将来加盟国となる」と記した。ロシアを刺激したくないNATOは本気でウクライナを仲間に入れる気はなかったが、ロシアはウクライナが西側勢力に組み込まれるとの焦りを募らせた。NATOが悪いという気はないが、NATOに加盟できなかったウクライナは結果的に中ぶらりんのまま、最終的にロシアに侵攻されてしまった。
一方的な力による現状変更を試みる核保有国を抑止する困難さはあるが、核保有国を怒らせるとすぐに第3次世界大戦や核戦争になると思う必要はない。それはロシアの脅し文句だ。NATOやロシアは、米ソ冷戦期から精緻な議論でエスカレーションの段階を考えてきた。ロシアは西側諸国に核戦争などを恐れる議論があるのもわかって、揺さぶりをかけてきている。
侵攻から1カ月となった3月24日の首脳会合を機に、NATOはようやくロシアへの抑止に踏み切ったと見ている。ロシアが生物・化学兵器を含む大量破壊兵器を使用すれば軍事的措置を検討することを強く示唆し始めたからだ。
方針転換の理由は、大量破壊兵器の使用は、ウクライナの防衛という次元を超えた国際規範の問題になるからだ。大量破壊兵器が使われたにもかかわらずNATOが動けなかったとなると、次に使うかもしれない国に対する誤った前例をつくることになる。
■「強力な制裁」足並みそろう
日米欧のロシアへの経済制裁は、事前の予想よりも相当強力なもので、評価されるべきだ。ロシア主要銀行の国際決済網からの排除やロシア中央銀行の資産凍結はプーチン氏にとっては誤算だ。当初予想された、米国と欧州の足並みが乱れるという構図にはならなかった。
欧州にとって、侵攻がいかに衝撃的だったかということだ。ロシアにエネルギー供給で依存し、融和的だったドイツまでも厳しい制裁をとり、国防予算の大幅増額を決定したのが象徴的だ。
制裁は抜け穴を封じる措置など、まだ強化する局面だ。一方で、緩和する局面でどう日米欧の足並みをそろえられるかも考えておく必要がある。
いまロシアとウクライナの停戦交渉が進められているが、ロシア軍の撤退交渉は、これとは別に行われるだろう。この中でロシアが制裁の緩和や解除を要求してくることは間違いない。その時、プーチン体制の崩壊まで徹底的に制裁する考えの国と、撤退するなら制裁を解除してもいいという国に割れる可能性がある。
ドイツは自動車や機械、イタリアは衣料品や食品など、国によってロシアとの経済関係は異なり、影響も違う。各国とも、自国が被害を受けている制裁は解除したいのが本音だ。
さらにプーチン氏を「戦争犯罪人」として扱うなら、最低でもプーチン氏個人への制裁は解除できないし、他の制裁の扱いも問われる。制裁を緩和する局面は、脅威に対する結束が薄れている状態だ。制裁を強化する局面と同じレベルで足並みをそろえられるかどうかが今後の大きな課題になる。
■プーチン氏の「オウンゴール」
NATOがロシアと接する東方の同盟国の防衛力を強化することは不可避だが、それは過去の延長線上の動きだ。変わる可能性があるとすれば、北欧のフィンランドとスウェーデンがNATOに加盟するかどうかで、両国では加盟すべきだとの国民の声が高まっている。冷戦期からの中立国が加われば、欧州の秩序に大きなインパクトがある。仮に加盟しなくても両国はNATOへの接近を進めており、「ほぼNATO」のような状況がすでに生まれつつある。
ロシアの国力や地位は、今回の侵攻により大きくそがれる。中国とロシアの力関係も経済のみならず、政治や安全保障でも中国優位の状況が固定化するだろう。全てはプーチン氏の究極のオウンゴールだ。
侵攻への国内外の批判の高まりで、プーチン政権が倒れる可能性もある。ただ、「ポストプーチン」が今よりましになるかどうかは疑問だ。
欧州の多くは、91年のソ連崩壊以降、ロシアが改革を成し遂げて近代的な自由民主主義国家になると幻想を抱き続けた。仮に、若くて西側諸国のことを理解してくれそうな新たな指導者が誕生すれば、欧米は「今度こそ」となるかもしれない。でもそれは22年前、高齢のエリツィン大統領の後継としてプーチン氏が登場したデジャビュ(既視感)だ。欧米は、ドイツ語が話せて合理的な「プーチン像」を作り上げたが、ポーランドやバルト3国など東欧諸国は「ロシアは変わらない」と指摘し続け、侵攻はそれが正しかったと証明した。他方、プーチン政権が存在し続ける場合、日米欧は「戦争犯罪人」といかに接するかという難題を抱えることになる。
今後の日ロ関係はどうすべきか。北方領土の元島民の思いは大事だが、この数十年間、日ロ関係に占める北方領土交渉の比重が大きすぎた。経済協力も、北方領土交渉のための環境整備が主な目的で、経済界にとってロシアは、日本政府がお尻をたたかなければ関与しないほどの魅力しかなかったと言える。
ロシアと中国の「2正面」に対抗するのは大変だからロシアを手なずけろという議論は正しいとは思うが、ロシアが日本より軍事力があって国境を接する中国との関係を優先するのは当然だろう。
これらを正しく認識しなければ、誤った期待に基づく日ロ関係となる。北方領土が日本の領土であると主張し続けることは重要だが、いまは動くべき時ではない。ロシアは、日本の制裁が日ロ関係を阻害したと主張しているが、ロシアによるウクライナ侵攻が日ロ関係を破壊したという認識が出発点になる。平和条約交渉は侵攻前も進展していなかったのであり、交渉中断で日本が失うものは少ない。(聞き手・文基祐)
ロシアのプーチン大統領は、なぜウクライナへの全面侵攻に踏み切ったのか。どうすれば戦禍の拡大は食い止められるのか。日本や世界はロシアとどう向き合うべきなのか。各分野の専門家に聞きました。
【関連記事】
<シリーズ評論・ウクライナ侵攻 バックナンバー>
⇒プーチン氏、真の狙いは「欧州安保再編」 畔蒜泰助氏
⇒日本の防衛資源配分 悩ましい優先順位 兵頭慎治氏
⇒石油・ガス「脱ロシア」の衝撃 田畑伸一郎氏
⇒対ロ姿勢転換、距離置く中国 興梠一郎氏
⇒核リスク上昇、危うきシナリオ 戸崎洋史氏
⇒経済制裁 ロシアに打撃 木内登英氏
⇒弱る米国、描けぬ戦後秩序 中山俊宏氏
⇒前例なき国家間「140字の戦争」 武田徹氏
⇒国際規範崩す「19世紀型戦争」 細谷雄一氏
⇒自らの手を縛る軍事作戦 小泉悠氏
⇒避難民、一生引き受ける覚悟を 石川えり氏
⇒「スラブ民族統合」へ軍事介入 藤森信吉氏
⇒対ロ世論に「3つのバイアス」 宇山智彦氏
⇒漁業交渉、日ロつなぐ「強い糸」 浜田武士氏
⇒経済制裁、省エネが最も有効 高橋洋氏