PR
PR

消えた「四島返還」(1) シンガポールの決断 届かなかった望郷の思い 2分の会見、隠れた「転換」

 2月7日の「北方領土の日」を目前に控えた5日午後5時4分。北方領土返還要求運動の先頭に立ってきた根室市の元島民がまた1人、この世を去った。国後島出身の千島歯舞諸島居住者連盟根室支部長、宮谷内(みやうち)亮一。79歳だった。

 「あと20年したら、元島民はいなくなる。50年後、100年後に問題が解決しても、喜ぶ人が誰もいなかったら、本当に意味があったと言えるのか」。北海道新聞日ロ取材班は早期返還を願う宮谷内の思いを何度も、何年も取材してきたが、喜びの声を伝えることはついにかなわなかった。

 戦後75年を経て、日ロ間に未解決のまま残る北方領土問題。2018年11月、当時の首相安倍晋三は1956年の日ソ共同宣言を交渉の基礎に位置付け、「四島返還」から事実上の2島返還へとかじを切った。その後の交渉は停滞が続くが、安倍は「考え直せば、日ロ関係は100パーセント後退する」と現首相の岸田文雄に路線継承を迫っている。

 一方、岸田は7日に東京都内で開かれた「北方領土返還要求全国大会」での演説で、日ソ共同宣言には直接触れず「18年以降の首脳間でのやりとり」を引き継ぐという曖昧な表現を繰り返した。官邸筋は「安倍周辺と、安倍路線に否定的な外務省のせめぎ合いが続いている」と解説する。

 日本の対ロ戦略の軸足は今、どこにあるのか。交渉はなぜ行き詰まり、宮谷内の切なる願いは、なぜかなわなかったのか―。3年3カ月前の安倍の決断とその後の経緯からは、日本外交が直面する厳しい現実が浮かび上がる。

 2018年11月14日。東南アジアの都市国家シンガポールの最高気温は31度を超えていた。氷点下のモスクワから飛行機で約10時間かけて現地入りした北海道新聞のモスクワ支局長が、高級ホテル「マンダリン・オリエンタル・シンガポール」のロビーで強めの冷房に肌寒さを感じ始めたころ、待ち構えていた日本の記者団の前に首相の安倍晋三が姿を見せた。

 「先ほど、プーチン大統領と日ロ首脳会談を行いました。その中で通訳以外、私と大統領だけで平和条約締結問題について相当突っ込んだ議論を行いました」

 表情はやや高揚しているように見えた。

 安倍とロシア大統領プーチンは、東南アジア諸国連合(ASEAN)関連首脳会議と東アジアサミット出席のために現地入りしたのに合わせ、第1次安倍政権も含めて通算23回目の首脳会談を行った。

 安倍は16年12月の山口県長門でのプーチンとの会談以降、北方四島を巡る協力が進展してきたことを記者団に説明し、ゆっくりと続けた。

 「この信頼の積み重ねの上に、領土問題を解決して平和条約を締結する。戦後70年以上残されてきた課題を次の世代に先送りすることなく、私とプーチン大統領の手で必ずや終止符を打つという、その強い意志を大統領と完全に共有しました」

 ここまでは従来通りの発言だった。続けて、安倍の声が少しだけ強くなった。

 「そして1956年、(日ソ)共同宣言を基礎として、平和条約交渉を加速させる。本日そのことでプーチン大統領と合意いたしました。来年の(大阪での)G20(サミット)において、プーチン大統領をお迎えいたしますが、その前に、年明けにも私がロシアを訪問して日ロ首脳会談を行います。今回の合意の上に私とプーチン大統領のリーダーシップの下、戦後残されてきた懸案、平和条約交渉を仕上げていく決意であります。ありがとうございました」

 時間にして、わずか2分。在京メディアの若い記者が「今回も決意の表明だけでしたね」と漏らすのを聞きながら、モスクワ支局長は冷えた体が熱くなっていくのを感じていた。安倍はやはり、このタイミングで勝負に出た―。

 歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島からなる北方領土の「四島返還」を目指す従来方針を断念し、歯舞、色丹の2島返還を軸とした交渉に大きくかじを切るという、北海道新聞日ロ取材班の「読み」が確信に変わった瞬間だった。

 予定より1時間遅れで始まった会談は約1時間半行われ、このうち「テタテ」と呼ばれる首脳2人きりの議論は約40分間だった。通訳を介してのやりとりのため、実質的な議論は20分程度だろうか。平和条約締結後に歯舞、色丹2島を日本に引き渡すことが明記された日ソ共同宣言に基づいて交渉を加速させることを提案したのは、安倍の方だった。

 メディアに公開された冒頭のやりとり以外、今も具体的な内容は明らかにされていないシンガポール会談。複数の関係者によると、安倍はプーチンの目を見つめ、こう語りかけた。

 「あなたは長門に来た時、歴史的なピンポンはやめようと言った。私もそう思う」

 北方四島が「固有の領土」だとして返還を求める日本と、第2次世界大戦の結果、正当に自国領になったと固持するロシア。2年前の日本での首脳会談後の共同記者会見で「領土に関する歴史的なピンポンをやめるべきだ」と訴えていたプーチンは、安倍の言葉にうなずいた。

 安倍はシンガポール会談に向け、両国外務省間の通常の事前調整だけでなく、官邸主導の極秘ルートで折衝を進めていた。キーマンとなったのは安倍の「懐刀」の内閣情報官北村滋と、プーチン側近のロシア対外情報局長官ナルイシキン。北村は首脳会談の直前に極秘にモスクワを訪れてナルイシキンと接触し、プーチンが安倍の提案を受け入れるという感触を得ていた。

 「この場で担当者に指示しよう」。安倍は会談終盤、交渉を動かすための布石も打った。部屋に呼び込まれたのは、国家安全保障局長の谷内正太郎と外務省事務次官の秋葉剛男、ロシア外相ラブロフと大統領補佐官ウシャコフの4人。首脳同士の合意であることを強調し、事務方への指示を徹底させる狙いだった。外務省間の調整で想定されていなかった展開に、対日強硬派のラブロフは、ぶぜんとした表情を隠さなかったという。

 安倍は当初、日ソ共同宣言に「沿って」交渉を進めることを提案したが、ロシア側からの要望で文言調整が行われ、宣言は交渉の「基礎」に位置付けられた。

 日ロ外交の歴史的な転換点だった。(肩書は当時、敬称略)

【関連記事】
消えた四島返還 まとめ読みはこちら
次回分を読む (2)語られなかった真意

北海道のニュースがメールで届く
PR
ページの先頭へ戻る