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10年間の監督生活たっぷり語った 近ちゃん、ミヤ、佑樹、翔平…「栗さん感謝の集い」詳報
今季まで北海道日本ハムファイターズの監督を務めた栗山英樹さん(60)を囲むイベント「10年間夢と感動をありがとう! 栗さん感謝の集い」(実行委主催)が12月25日、北海道の栗山町スポーツセンターで開かれました。長年交流を続けてきた栗山町民らが詰めかけた会場で、栗山さんは何を語ったのでしょう。10年分の思いが詰まったトークの様子を、どうしん電子版限定で詳しくお伝えします。
■「監督辞めないでくださいよ」拳士は言った
(栗の樹ファームを描いたステージに栗山さんが登壇)
<司会:ステージはどんな印象受けましたか?>栗山町に来て、子どもたちのための球場をつくりたいと思ったとき、こういうイメージだった。ノスタルジックな、野球の原点に立ち返られるような場所。素晴らしい舞台を作ってもらって感謝しています。(司会:看板に直筆のサインを書いてもらった。「夢は正夢」)背番号80ではなくなるし、サインも変わるので、これが最後だと思って書きました。
<司会:退任はいつ決断されましたか?>ここ何年間かは、いつもこれで最後だ、最後だ、と思ってやってきたのは事実です。2018年ぐらいから、チーム状況とか世代交代を考えてきました。今年の夏場ぐらいですかね、オリンピックがあったので、あの期間に何とかチームを立て直そうと1カ月準備したんです。でも、チームがなかなか走らない。うまくいかない状況のなかで、自分の責任を真剣に考えました。
あの時期、ちょうど練習していたら(杉谷)拳士が来て、監督辞めないでくださいよ、と。なにか感じるんでしょうね。(今日履いてきた)この靴をつくったとき、拳士がオレンジ色が(自分の靴と)かぶるから履かないでくれと言って、だから監督辞めるまで履けないと思っていたんですが、今日は辞めたんで履いてきました。…どうでもいい話ですね(笑)。
■夜の監督室 捕手近ちゃんの反省会
<司会:選手のことも聞いていいですか?近藤健介選手との思い出がありましたら>もともと(近藤選手との出会い)は、僕が出演していた熱闘甲子園というテレビ番組でした。横浜スタジアムで行われた夏の甲子園神奈川大会の決勝、近ちゃんのサヨナラ打で(横浜高校は)甲子園に行ったんですけど、そのときに試合を見てて、いいバッターがいるな、と思ったんです。
(そのあと、近藤選手がチームに入ってきて)最初は近ちゃんのバッティングを生かすため、どういう場所で守ればいいのかなと。キャッチャーもできるし内野も外野もできる。2016年、日本一になった年。あれだけバッティング能力がある選手がキャッチャーをやってくれたら、チームはものすごく強くなる。適性があるのかないのかはあるだろうけれど、僕はできると信じていた。
近ちゃんがキャッチャーをやっていて試合に負けると、夜中、監督室をトントンとノックする音がするんです。僕の経験上、(選手が)監督室を夜に訪ねることはあまりないんです。ドアを開けると、近ちゃんがいた。で、30分間ふたりとも(ほぼ)無言です(会場笑)。「近ちゃん、何か話したいことがあるなら言って」と伝えたんですけど、(その表情からは)自分の仕事ができずにチームが負けて申し訳ないという気持ちが120%にじみ出ている。僕の守るポジションは本当にキャッチャーなのか、と感じていたはずです。そういう状況のなかで、2人で(無言で)向き合う。
こちら側としては、他のポジションを守れるのは分かっていたけれど、近ちゃんがキャッチャーをやると勝ちやすいという話で進めている。(だから)絶対にこちらからは何も言わない。彼を追い込んでいるのかもしれないですけど。一流選手というのは厳しいところにいけばいくほど、がっと変われる瞬間があるんですよ。優しく「まあいいよね」って進んじゃうと…
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