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<胆振東部地震から3年 復興の現在地>1 思慕 緊張ほどけ悲しみ再び

 胆振管内厚真町の中心部に立つ真新しい木造住宅。無職中田正人さん(79)は毎朝、仏壇に手を合わせる。「何とか家を建て直しました。美江がいなくなり、静かになったけど、頑張るよ」。改めて押し寄せる寂しさを振り払い、妻美江さんの遺影に語りかける。仮設住宅にいた頃よりずっと広い2LDKの家に、今は三女と2人だけで暮らす。

 2018年9月6日の胆振東部地震で厚真町吉野地区にあった中田さん宅は土砂崩れに襲われ、美江さん=当時(71)=が犠牲になった。「まさか」。中田さんは放心状態になった。

 その後の日々は慌ただしく過ぎた。町内の避難所、千歳市の次女宅、町内の集合住宅を経て、プレハブの仮設住宅に。慣れない人間関係にもストレスを抱えながら、国の補助金も活用し自宅再建の準備を進めた。

■目標を探して

 昨春、吉野地区から5キロ離れた町中心部の新居に転居した。その後、中田さんが夜、布団の中で目を閉じると、優しく社交的だった美江さんのことが次々と浮かぶようになった。地区の桜の花見で地域の人々に手料理を振る舞う姿、一緒に外食を楽しんだ時の笑顔。「また会いたい」。かなわぬ思いが胸を締め付けた。

 吉野地区の19人を含む44人が犠牲となった地震から3年。悲しみや切なさが再びこみ上げる理由を、中田さんは「暮らしの不安から解放され、緊張の糸がほどけたから」と受け止める。5月には町の事業に参加し、多くの桜が倒れた吉野地区に苗木を植えた。「桜がきれいな吉野に戻ってほしい」。妻との思い出を胸に、生きる目標を懸命に探す。

 地震の被害が大きかった同管内厚真、安平、むかわの3町は計781件の災害復旧事業を行い、8割以上が終了した。多い時で3町で計792人が入居した仮設住宅も今年7月で最後の住人が退去し、住宅再建も進んだ。一方、被害者は今なお大切な人を失った現実と向き合い続ける。

■思い出を胸に

 「もう3年。あっという間だな」。厚真町土地改良区の技師、高橋尚揮(ひさき)さん(19)は地震後、無我夢中で過ごした日々を振り返る。

 地震当時、厚真高2年生だった。実家と同じ町内の稲作農家で、親しかった大叔父の松下一彦さん=当時(63)=を土砂崩れで失った。1週間泣き暮らした。

 高橋さんは苫小牧市の農機販売業者への就職を目指していたが地震後、松下さんが愛した田園風景を再生したいと決意し、地元に残った。昨春の高校卒業後に土地改良区に就職し、農業水利施設の管理を担当する。

 土砂の除去など、道の農地復旧事業は既に終わった。だが今春、農家を回ると「雪解け水とともに土砂が水田に流れ込んでくる」との声を多く聞いた。近くの山林が倒木の影響で保水力を失ったためだ。新たな課題に「誰もがストレスなく営農できなければ、復旧したとは言えない」と悩みながら、上司と対策を練る。

 高橋さんにはもう一つ、頑張りたいことがある。松下さんが指揮者を務めた厚真町民吹奏楽団の後輩として、町民を元気づけることだ。現在はコロナ禍で活動できず、もどかしい。それでも松下さんが生前、演奏前に繰り返していた言葉を思い出し、自宅地下で1人、ドラムの練習を続ける。「みんな喜ぶといいな」

 胆振東部地震から3年。復興の歩みが進む中、人々はどんな暮らしを紡ぎ、どう生きようとしているのか。被災地の今を見つめる。(仲沢大夢、木村みなみが担当し、4回連載します)

■被災直後よりつらい人も 災害遺族の心理状態に詳しい日本DMORT(災害死亡者家族支援チーム)の村上典子副理事長の話

 災害遺族は自宅の崩壊など、他の喪失を伴うことがあります。被災直後は生活再建に気持ちが向くなどし、家族を失った悲しみが遅れてくることもあります。被災3年は、多くの人が今まで避けてきた悲しみと向き合い始める時期です。発災直後よりも今の方がつらいと感じる人がいます。

 周囲は災害からある程度時間がたったからといって、配慮を欠いた言動で二次的に遺族を傷つけることがないよう、留意してほしいです。特に1人暮らしの方には、見守りや声掛けなどの支援も必要になります。

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