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<戦後76年>戦時下重なる「五輪ありき」 「情報出さず人命二の次」元特攻隊員・札幌の横山さん

 新型コロナウイルス感染拡大への不安と東京五輪の熱気が入り交じる異例の状況の中、日本は終戦から76度目の8月を迎えた。「平和の祭典の名の下に、人々の健康と命が『二の次』になっていないか」。元特攻隊員の男性は、国が正確な情報を提供しないまま悲惨な戦争を続けた当時の記憶をたどりつつ、複雑な気持ちで「コロナ禍の五輪」を見つめている。

 「戦後の復興を世界に見せようと、国民みんなが歓喜した1964年の東京五輪とは全く違う」。7月下旬、五輪中継が映し出されたテレビに視線を向けながら、元特攻隊員の横山末雄さん(93)=札幌市白石区=は疑問を投げかけた。

 感染拡大が懸念された五輪について、菅義偉首相は「安全安心を最優先にする」と繰り返してきたが、国内感染は1日1万人を超えるまで急拡大した。「人流(人の流れ)は減っている。心配ない」(菅首相)と実態と乖離(かいり)した楽観的なメッセージばかりが政治のリーダーの口をついて出る。ワクチン配布がなぜ遅いのか、国民が納得できる説明は今もない。

 横山さんは「五輪ありき」で突き進んだ政府の姿勢が、戦時下と重なって見えるという。「必要な情報をちゃんと出さず、上から高圧的に物事を進めているように感じる。コロナがまん延しても『平和の祭典』と言えるのだろうか」

 76年前、17歳の横山さんは茨城県の土浦海軍航空隊で訓練を受けていた。1945年(昭和20年)6月10日、基地は米軍の爆撃機約300機の空襲を受けた。部隊の施設はほぼ壊滅。爆弾2発が直撃した防空壕(ごう)では数十人が生き埋めになった。別の防空壕に逃げた横山さんは救出作業に加わったが「体育座りのまま命を失った仲間もいた」。遺体を火葬する際のモクモクと上がった黒煙と、人が焼けるにおい。それが今も脳裏を離れない。

 自ら志願した特攻隊で命をささげる覚悟だった。飛び立たぬまま終戦を迎えたが、8月15日の玉音放送後も「米兵が上陸してきたら竹やりでも突っ込む」と3日間、訓練を続けた。「言論統制により当時の国民は戦況が一切知らされていなかった。正しく情報が伝わっていれば、沖縄戦や原爆も回避できたはずなんだ」

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