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鰻と東京の空

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鰻(うなぎ)は映画監督小津安二郎の大好物だった。日記にも頻繁に登場し、大みそかですら、細く長くとそばを食べるくらいなら、いっそ太く長く生きる方がよいという理屈で繰り出した▼1957年の「東京暮色」に登場する鰻屋は東京駅に近い呉服橋付近の店という設定だった。日本橋の銀行に勤める周吉を妹の重子が強引に誘う場面だ。昼からお酒を勧める女性社長、重子の羽振りの良さは、どこか経済成長に高揚する当時の世相にも通じる(「小津安二郎の食卓」ちくま文庫)▼モデルになった老舗がある一帯には今、再開発のつち音が響き渡る。その象徴が首都高速道路の地下化工事だろうか。日本橋の景観を台無しにすると評判が悪い高架道路を取り除くという▼64年の東京五輪を前に渋滞対策の切り札として急ピッチで整備が進められた「首都高」。土地接収の必要がないとして河川の上を通した結果、多くの東京の空は高架の陰に隠れてしまった▼小津作品でタイトルに東京がつく物語には、経済成長や繁栄になじめない人々が登場する。尾道の老夫婦が東京で暮らす子どもたちを訪ねる「東京物語」もそうだった。都市化の中で輪郭を失う人情を見つめ続けた▼今回の五輪でも多くの人と金と時間が東京に費やされた。モラルを問い続けた映画人がメガホンを取っていたら、どんな世界を見せてくれたかと夢想する夏の土用の丑(うし)の日だった。2021・7・29

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