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<書評>小島

小山田浩子著

日常の豊かさ 身近な<自然>描く
評 辻山良雄(書店店主)

 一枚一枚、絵をゆっくりと眺めながら歩いているような読後感だった。遠目には静止している、ある風景を描いたように見えた作品が、近づいてつぶさに見ていくと、そこには無数の筆の跡があり、さまざまな色や時間がその一枚に塗り込められていることに気がついたような…。

 ここに収められた14編の作品に、出来事らしい出来事はほぼ起こらない。その代わり書かれているのは、あなたやわたしに似た主人公が、日々くり返している日常の一コマ。公園で娘とかくれんぼをする。元の同僚とランチに行く。そうした一見ありふれた光景を透かしてみると、それぞれの人が抱える〈切実〉が見えてくるから不思議だ。文章はとても綿密に書かれ、そのスピードは普段わたしたちが生きている時の意識に近い。だから読んでいるうちに、いつのまにか小説の世界にとりさらわれるような気にもなってくる。

 それぞれの短編には身近な〈自然〉が登場する。集合住宅のベランダに迷い込んだヒナや、かつて実家で飼っていた犬といった小さな〈自然〉が、人間たちの世界に紛れ込み、いっときわたしたちの生を照らしてくれる。川原で拾った実をなめると舌に痛烈な苦みを感じるなど(「土手の実」)、〈自然〉は時に人間に対し、手痛いしっぺ返しをくらわせてくるが、そうしたざらりとした感触が、「わたしは確かに生きている」ことを思い出させてくれるのだ。

 「いとおしさ」とも「ただ生きている」とも違う、たゆみなく流れる実体のある時間。そうした名状しがたい時の連なりを、作家はありのまま描き出す。そこではいつの間にか現在と過去が行き来し、植物や犬や人の時間がそれぞれ平行に流れている。だから一編一編の小説には、世界が見せてくれる豊かさがあり、読むと複雑な味わいを残すのだ。

 気がつけば読むあいだじゅう、いまは誰も住んでいない実家の庭や、飼い猫のことを考えていた。読むものの生活と地続きにある短編集といえるのかもしれない。(新潮社 2090円)

<略歴>
おやまだ・ひろこ 1983年生まれ。2010年「工場」(新潮新人賞)でデビュー。13年、同作を収録した単行本「工場」で織田作之助賞、14年「穴」で芥川賞

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