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<中森明夫の銭湯的メッセージ>吉川ひなのの告白

 吉川ひなのの話題の本『わたしが幸せになるまで』(幻冬舎)を読んだ。少女時代から人気タレントとして長らく活躍している彼女だが、現在は再婚して2人の子の母となり、一家でハワイへと移住している。真っ青な海を背景に子供たちを抱き締める全開の笑顔は、相変わらず美しい。が、あの“ひなのちゃん”が既に40歳を超している(!)と知って、驚いた。

 私が初めて彼女に会ったのは、1993年のこと。週刊誌の巻頭グラビアページを篠山紀信氏が撮り、私が文章を寄せる連載に出てもらったのだ。当時、彼女は13歳、デビューしたばかりの少女モデルである。脚が異様に長くて、スタイル抜群、なんと8・5頭身…生けるバービー人形(バービー人間!)とも呼ばれた。ベビーフェイスで、歯に矯正ブリッジをはめ、口を開くとポンポン面白い言葉が飛び出す。ちょうど“悪魔”という名前の子供をめぐる騒動があったころで「あたしのこと、“悪魔ちゃん”と呼んで~♥」と、ひなのが発言、座が沸いた。篠山先生は魅了されて、後に『ひなのがぴょんぴょん』などの傑作写真集を出すことになる。

 その後、何度か少女時代の彼女とお仕事をご一緒したが、テンションの上下動が激しい。むっつりと黙り暗くふさぎ込み、困惑することもあった。95年春、少女ファッション誌「オリーブ」で対談したが、あのときのひなのはすごかった。異様なハイテンションで妄想じみた話を延々としゃべる。すごい、ひなの星から舞い降りたひなの星人だ! と私が感嘆すると「<いやー、ほめられちゃった、どうしよう?>…これ、心の中のセリフ」と彼女が言って、爆笑した。

 今回の本を読むと、少女時代の自分は「全然、幸せじゃなかった」と告白している。超売れっ子にはなったが「わたしの人生はずっと、がんじがらめだった」という。ことに彼女が稼いだお金を両親に奪い取られていたとの告白には衝撃が走った。彼女の不安定だったメンタルのその理由の一端を知り、胸が痛んだ。現在のひなののナチュラル&ヘルス志向の独自の生活術が、本書では存分に披露されている(「鳥・豚・牛(ぎゅう)・牛(ぎゅう)…毎日、肉」と言っていた彼女が、今では肉食を断っているとは!)。最後のページの写真には、大きなおなかの姿があった。第3子が誕生するのだという。「わたしは今、人生史上一番幸せだと思う」。その告白を読み、ほっこりとした。吉川ひなのの今後の人生が、より幸せなものとなってほしい。(作家、アイドル評論家)

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