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<新冠 進め!ピーマン王国>上 栽培と選果 分業し躍進

 「昨年よりも生育が早い。今まであと一歩だった収穫目標達成も夢ではないですね」。5月中旬、日高管内新冠町のビニールハウスで、就農6年目の内藤純哉さん(38)は、実り始めた深緑のピーマンを眺め、6月の出荷本格化に期待を込めた。株はまだ高さ50センチほどだが、夏には人の背丈を超え実を鈴なりにする。

■シェア6割に

 新冠町農協の「にいかっぷピーマン」の生産の伸びは驚異的だ。昨年の生産額は前年比33%増の11億円と初めて10億円を超え、20年前の約5倍、10年前の約3倍に。1980年に減反政策で転作を迫られた5戸の農家が生産を始めて40年。今は47戸が作り、全道シェア6割までに成長した。

 最初の5戸の1人、今野徳男さん(83)は「当時は野菜で生活できるとは思っていなかった」が、長イモ、シイタケ、養鶏などを試した末に転作にピーマンを選んだ。「狭い土地でも作れ初期投資が安い」「栽培しやすく、実が軽く扱いやすい」などが理由だった。

 露地栽培から始め、6年目からハウス転換が進んで品質が向上。収益性が高まり生産戸数も増えた。地の利も生きた。雪が少なく冬のハウス管理が容易で、夏は涼しく温度管理もしやすい。馬産地のため馬ふんを肥料にし、良い土もできた。98年には26戸で生産額1億6千万円となった。

■質、量とも安定

 ただここで大きな壁が。生産量増加で、収穫した実を大きさなどで分けて箱詰めする選別作業が重くのしかかった。各農家は「一日中、収穫と選別に追われ、大変だった」と口をそろえる。戸別の選別では、規格にもむらが大きかった。

 打開したのは同農協が99年、約1億2千万円かけて稼働させた選別施設だ。コンベヤー上を流れる実をスタッフが品質で選別後、機械が自動でサイズごとに分け、袋や箱詰めまで行う。

 農家は朝収穫したピーマンを集荷トラックに引き渡すだけで済み「楽になった」「規模を拡大したい」などの声が。同農協ピーマン生産部会の竹中浩二部会長(58)は「選別の労力が省け、栽培管理に集中できた。施設で規格もそろい、単価を押し上げた」と振り返る。

 この効果で2001年には戸数40戸、生産額2億2千万円に跳ね上がった。以降も拡大し14年に5億円、15年に6億円を突破した。

 施設の処理能力が限界に達した16年、同農協は再び約4億5千万円かけて新施設を稼働。能力が1日15トンから25トンに増え、生産額は17年に7億円、18年に8億円を超えて、昨年の躍進につながった。竹中部会長は「質、量ともに安定しブランド価値が上がった」と話す。(静内支局の杉崎萌が担当し3回連載します)

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