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【キートン山田さん】「ちびまる子ちゃん」のナレーションを務めた

 日曜夜の国民的アニメ「ちびまる子ちゃん」(フジテレビ、道内は北海道文化放送=UHB)で1990年の放送開始からナレーションを務めたキートン山田さん(75)=空知管内北村(現・岩見沢市)生まれ、三笠市出身=が3月、番組を卒業し、声優業からの引退を発表した。ひょうひょうとした口調で登場人物に冷静なつっこみや温かいフォローを入れ、物語に独特のリズムを生み出してきた。第一線を退く思いを聞いた。(東京報道 大原智也)

■悔いはない。「ありがとう」ですね、本当に。

 ――いつごろから引退を意識したのでしょう。

 「具体的じゃないけど、60歳を過ぎたころ。同級生は60歳や65歳でみんな定年。じゃあ自分はいつなんだと考え始めました。芸能生活も半世紀が過ぎ、ちびまる子も昨年、放送30周年を迎えた。1964年の東京オリンピックの時に上京し、また東京で五輪がある。いろいろな“合わせ技”だと理由をつけたんです。先輩方の生きざまを見て、引き際は大事だと思っていた。迷惑をかける前にという気持ちが強かったですね」

 ――最後の収録はどんな様子でしたか。

 「コロナ禍になってから、声優はスタジオで1人ずつ録音しています。本当は最後も1人だったんですけど、台本を読んだらまる子と絡むシーンがあって。収録が終わってその場にいた(まる子役の)TARAKOさんに『ちょっと一緒にやってくれる?』ってお願いしたら、快くスタジオに入ってくれた。すごく感慨深く最後のシーンを演じました。当日は自宅近くの温泉旅館で放送を見ました。ただ、その後も取材があったり、お祝いをいただいたりして、全然終わった感じはしないんです」

 ――最後はナレーションだけでなく、ある子供の父親役も演じましたね。「ありがとう、まるちゃん」と語りかける場面に、ネットでは「感動した」と声が上がりました。

 「あの『ありがとう』は、原作者のさくらももこさんに対して言ったんです。若くして亡くなられたのはすごく残念でした。アニメが終了する時に直接伝えたいと思っていたのに、かなわなかった。制作陣が粋な計らいをしてくれたんですね。心を込め、そのひと言を言いました」

 ――もともとは番組宣伝のナレーションをするだけだったはずが、さくらさんの強い希望で番組内のナレーションに起用されたそうですね。

 「僕の人生でいちばん大きな転機。30代後半で声優の仕事がほとんど無くなる挫折を経験し、やり直す意味で改名して、心を入れ替えてやっていた40代の頃でした。それまで自分にぴったりだと思えて長く続く作品には出合えていなかった。それだけに、あ、これだったんだ、と」

<略歴>きーとんやまだ 本名・山田俊司(しゅんじ)。1945年、北村(現・岩見沢市)生まれ。4歳で養子になり穂別町(現・むかわ町)へ。一時生家に戻った後、中学3年で三笠市に移る。三笠高卒業後、東京の生コン会社に就職。演劇活動を経て声優に転じた。70年代は「ゲッターロボ」の神隼人役や「一休さん」の将軍さま役など、幅広い役をこなす。38歳で「キートン山田」に改名し、80年代はNHK教育の理科番組「なんなんなあに」に出演。90年から今春まで「ちびまる子ちゃん」でナレーションを務め、ナレーターとしてバラエティー「ポツンと一軒家」「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」などでも活躍した。

<後記> 記者は山田さんと同じ北村生まれ。そう告げると「北村のね、あの真冬の満天の星は忘れないね」と、うれしそうに語り、帰り際には「ほとんど最後の取材で、北村の人に東京で会うとは思わなかったよ」と見送ってくれた。こちらこそ大先輩の節目にお目にかかれて光栄でした。

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