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<デジタル発>「SL冬の湿原号」80歳 現役続行へGO (中)元機関士が語り部

 北海道で最初にSLが走ったのは1880年(明治13年)、小樽・手宮-札幌間でのこと。国内初の東京・新橋-横浜間の開通から遅れること8年、鉄路は道内の街と街をつなぎ、海沿いを内陸を、北へ東へと延び、内地から開拓に入る人や財産、文化を運んだ。道内のヤマ(炭鉱)から採れた石炭を燃料に、貨車を連ねる蒸気機関車は物流の担い手。鉄路は張り巡らされ、大小の多彩なSLが走り、噴き上がる煙は地域の繁栄の象徴だった。その煙は戦後、復興の証しになった。旧国鉄が近代化を進める中、ディーゼル機関車や電車に主役の座を譲ってもSLは北の大地を黙々と走り続け、1975年に国内最後の1両が引退した。復活を果たしたSL冬の湿原号はその歴史も背負いながら、140年続く北海道の鉄道文化をけん引する。(文・厚岸支局 山村晋)

釧路運輸車両所から釧路駅ホームへ向かうC11形171号機。新釧路川の対岸にある日本製紙釧路工場と盛大な煙で共演=2月27日(加藤哲朗撮影)
釧路運輸車両所から釧路駅ホームへ向かうC11形171号機。新釧路川の対岸にある日本製紙釧路工場と盛大な煙で共演=2月27日(加藤哲朗撮影)

■市街地を走る「スター」

 SLの今季の運行は、1月23日から2月28日までの21日間(うち荒天による運休1日)。新型コロナウイルス感染拡大により外国人客の姿は消えたが、釧路駅のホームは乗客でごったがえしていた。「80歳」のSLと記念撮影した人の波は、出発を知らせる鐘が鳴ると、客車5両に吸い込まれた。

釧路駅のホームで、乗客との記念写真に納まるSL冬の湿原号=2月20日(加藤哲朗撮影)
釧路駅のホームで、乗客との記念写真に納まるSL冬の湿原号=2月20日(加藤哲朗撮影)


 「ボォ--」。午前11時5分ちょうど、高らかな汽笛を響かせ、旅が始まる。SLがゆっくりシリンダーを動かし、動輪が回る。連結された客車は1両目がきしむ音を立てながら2両目を引き始め、3、4、5両目と小さな揺れが続く。ホームを滑り出ると、沿道や跨線橋(こせんきょう)の上に人、人、人。煙に包まれ、カメラを構えたり、手を振ったり。車窓を無数の笑顔が流れていく。乗客は「まるでアイドルのよう」「スター並みの出迎え」と喜び、手を振り返す人が相次いだ。

上空300メートルを飛ぶ本社ヘリから釧路川の鉄橋を渡るSL冬の湿原号をとらえた。川岸には多くのカメラマンが陣取る=2月12日(加藤哲朗撮影)
上空300メートルを飛ぶ本社ヘリから釧路川の鉄橋を渡るSL冬の湿原号をとらえた。川岸には多くのカメラマンが陣取る=2月12日(加藤哲朗撮影)


 今冬、SL冬の湿原号に乗車した鉄道ファンの間では「最後の運行になるかもしれない」と話題を集めていた。8年に1回の車検「全般検査」が迫り、財政難にあえぐJR北海道が巨額費用の負担に耐えられないとうわさされていたからだ。そこに新型コロナウイルス感染拡大が追い打ちを掛け、訪日外国人客の姿も消えた。首都圏や関西圏との往来も自粛が求められ、SL継続はピンチに陥っていた。

 それを救ったのが地元客だ。

(年齢・肩書は掲載当時)

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※連載(下)は、5月10日に配信します

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