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<訪問>「戦場の漂流者 千二百分の一の二等兵」を書いた 稲垣尚友(いながき・なおとも)さん

修羅場から生還 ユーモア交えた証言

 本書は、太平洋戦争末期にフィリピンへ出征し、船が沈没するなど数々の修羅場をくぐり抜け生還した元二等兵の証言を、約40年ぶりに再会した著者がまとめた。悲壮感漂う戦争体験記ではなく、ユーモアさえ感じる語り口で、一人の男のサバイバル記としても読み応えがある。

 語り手は鹿児島県トカラ列島の中之島に住んでいた半田正人さん(2014年、92歳で死去)。1944年に船舶工兵として出征するも、乗り組んだ輸送船が米軍の魚雷で沈没。3日間海上を漂った後救助されたが、乗り換えた船も魚雷で沈んだ。2度の撃沈を乗り越えルソン島に上陸するまでの様子が詳細に語られ、「人間の運ちゃあ、わからんもんですよ」という言葉が強く響く。船舶工兵1200人のうち数少ない生き残りで、「1200分の1」と呼ばれた。

 著者は東京出身、千葉在住の79歳。大学中退後に全国を放浪し、トカラ列島で暮らした60年代後半に、村の世話役だった半田さんと出会った。その後、竹細工職人として活躍する一方、トカラの歴史や生活などについて出版してきた。2006年に半田さんから電話があり、約40年ぶりに再会。半生を聞き取ると「とにかく話が面白かった」。本にするつもりはなかったが、作り話では生まれぬ迫力に魅了され、7年間島に通い続けた。半田さんは文字起こしした冊子を大事にしていたという。「きっと(記録として)残したいという思いがあったのでは」。没後、まずは戦争体験を一冊にまとめた。

 半田さんは上陸後、飢えをしのぎ、米軍の攻撃を避け山中に潜んだ生活さえ、ひょうひょうと語った。「哀れなことも笑いに変えて話せる人だった」といい、1年半いた捕虜収容所で米軍をだまし食料を確保する話も痛快だ。書籍化にあたり、時代にそぐわない言葉もあったが「腐りにくいものを残したい。半田さんの言葉が失礼かどうか自分で決めないことにした」。

 来月には、半田さんが復員後、占領下の中之島で、米軍を頼らず物資の密貿易や島全体の開拓に突き進む続編が出版される。

東京報道 大原智也

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