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<北海道 移住者たちの選択>11 復活を信じて、台湾には帰らない

 北海道へ移り住んだ人たちのそれぞれの選択を探るシリーズ<北海道 移住者たちの選択>。ニセコ編11回目は、新型コロナウイルスの感染拡大で、仕事がゼロになってもニセコ地域に残ると決めた外国人の物語です。台湾出身のスノーボーダー、ボニー・ウさん(32)は世界を巡り、通年で働ける場としてニセコ地域に腰を落ち着ける決心をします。中華系の観光客が増え、働く場に困らなかった「楽園」ニセコ。しかし、その様子はコロナ禍で一変します。今は生活費を切り詰めながら、異国で細る貯金額を見つめる日々。それでも、なぜニセコに残るのか? 外国人の若者の意識を尋ねてみました。(文・写真/倶知安支局 桜井翼)

ホームゲレンデのニセコグランひらふスキー場でスノーボードを楽しむボニーさん
ホームゲレンデのニセコグランひらふスキー場でスノーボードを楽しむボニーさん

■スキーの聖地

 いつもなら外国人であふれる冬のニセコ地域。新型コロナウイルスの感染拡大が続く今冬は、激減している。それでも、ゼロというわけではない。この町に定住を決めた外国人たちがいるからだ。

 5年前から住む台湾人のスノーボーダー、ボニー・ウさんに、ニセコに来たきっかけを聞いてみた。

 「滑雪聖地(ファシュエシェンディ)」。返答は中国語だった。滑る雪と書いて「スキー」を意味する。その聖地という訳だ。ニセコ地域は、台湾では憧れの場所なのだという。

 ボニーさんは台湾・台北市出身。中華系の観光客を対象としたスキーツアー会社のマネジャーとして働いている。

 両親はそろって大の海外旅行好き。幼いころから世界各国を訪れた。新しい発見にあふれた異国に、憧れを持つのに時間はかからなかった。「いつか、海外で暮らしたい」。そんな漠然とした夢を抱いて育った。台湾の大学を卒業後、ワーキングホリデーの仕組みを使って、飛び出した。

 ニセコ地域につながる転機は2014年。遠く離れたニュージーランドのリゾートで、スノーボードに出会った。一枚の板に乗り、真っ白な新雪を滑る爽快感。何度も転びながら、その感覚に夢中になっていた。

 働き先は現地の日本料理店だった。周りは日本人ばかり。なじもうと独学で日本語の勉強を始めた。「スノーボードと日本語を仕事にしたい」。日本にやってきたのは5シーズン前のことだった。

 最初からニセコ地域を選んだわけではなかった。誘われたのは「好条件のオファーがあったから」。聞くより、来てみてびっくりした。日本人が全然いない。アジア系、欧州系…。周りは外国人ばかり。

 中でも、中華系の観光客数は数年の間に爆発的に増加していた。中国語に加え、日本語、英語の3カ国語を話せるトリリンガルの人材は、働く場には困らない。冬の4カ月ほどだけで、1年間分の稼ぎを得ることができた。シーズンが終われば、夏のアウトドアを楽しむ日々。

倶知安町内のカフェで過ごすボニーさん
倶知安町内のカフェで過ごすボニーさん


 ただ、それは2020年2月までの話。新型コロナウイルスの感染拡大で全てが一変した。今冬の中華系の観光客は、ほとんどゼロ。会社の売り上げは前期比99%減の惨状だ。仲間も次々に去った。「もう、台湾に帰ろうか…」。そんな思いが何度もボニーさんの頭をよぎった。

 いま、ボニーさんは日本語の猛勉強に明け暮れている。「ここは私の夢がかなう場所だから」

 日本人には分からない、ニセコの「輝石(きせき)」が、彼女の目線の先にはしっかり映し出されていた。

(年齢・肩書は掲載当時)

=シリーズ第12回は4月13日に配信します。

■シリーズ<北海道 移住者たちの選択>
 北海道に移り住んだ人たちが、移住前に何を思い、葛藤し、どんな希望を持って「北海道」を選んだのか、その一端を紙面で紹介しつつ、決断の舞台裏を電子版で詳しくお伝えします。
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 記事の一部は、多言語サイト「The Hokkaido Shimbun Press」で、5言語(英語、中国語=繁体、簡体=、韓国語、タイ語)に翻訳し、随時、配信します。
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