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「事務局たまちゃん」飛び立つ 雪印ジャンパー支え25年、山崎さん異動

2014年ソチ五輪で団体銅を獲得した雪印メグミルクの清水礼留飛選手(左端)と伊東大貴選手(右端)との記念写真。伊東選手は常々「誰よりも先にメダルをかけたいと思うのが山崎さん」と語っていた(山崎さん提供)
2014年ソチ五輪で団体銅を獲得した雪印メグミルクの清水礼留飛選手(左端)と伊東大貴選手(右端)との記念写真。伊東選手は常々「誰よりも先にメダルをかけたいと思うのが山崎さん」と語っていた(山崎さん提供)


 6度の五輪を経験した「事務局たまちゃん」が3月末で“引退”する。雪印メグミルク北海道本部の山崎珠実さん(48)。名門スキー部の裏方として、現監督で五輪金メダリストの原田雅彦氏らを約25年間支え続けた。「夢があって、常にドキドキワクワクしていた」。選手やファンと一緒に走り続けた四半世紀をこう振り返る。

 「たまちゃん、長い間お世話になりました。ありがとうございました!」。20日に札幌市大倉山で行われた今季国内最終戦「伊藤杯シーズンファイナル大倉山ナイター大会」では、主催者側が各選手のメッセージを読み上げる。雪印メグミルクの栃本翔平選手は、あえて山崎さんに宛てた。

 「とっちー(栃本)はこういうこと言うタイプの子ではないのに」。思わず噴き出した山崎さんだが、試合後は泣き腫らした。原田監督がもらい泣きするほどだった。

原田監督(右から3人目)ら雪印の長野五輪金メダリストと山崎さん(同2人目)=1998年(山崎さん提供)
原田監督(右から3人目)ら雪印の長野五輪金メダリストと山崎さん(同2人目)=1998年(山崎さん提供)


 札幌市出身で1993年に雪印乳業(現・雪印メグミルク)に入社。競技経験はなかったが95年11月からスキー部、アイスホッケー部・後援会の事務局で庶務担当になった。初の五輪が長野。原田監督や現コーチの岡部孝信氏らが団体金を獲得、札幌で3日間鳴りやまない電話に対応した。「金メダルを取るってこういうことなんだ」。うれしかったが、まだ部の一員という自覚はなかった。

 転機は2000年の雪印集団食中毒事件。会社への非難が集中する中、部の存続を願うスキー部やアイスホッケー部のファンからは「雪印の製品を買って応援する」と激励の手紙が届いた。「私たちが100パーセント悪いのに、手を差し伸べてくれる方がいた」。恩返ししたい―。この思いが自らのベースになった。

 事件の影響でアイスホッケー部は廃部に。事務局も大きく変わり、山崎さんは庶務だけでなくマスコミ対応などもする「スキー部のなんでも屋」となった。

 初の大仕事は06年、当時選手だった原田監督の引退会見。前日は、目頭を熱くしながら記者役として会見リハーサルに臨んだ。本番後は急ぎ足で原田監督を連れて迎えの車に向かいつつ、控室の飲み物をポケットに。喉が渇いているであろう監督へのとっさの気遣いで、車に乗り込むとすぐ原田監督は一気飲みした。

 原田監督は山崎さんについて「師匠です。とにかく何でも一番わかっている。気持ちもわれわれと同じ」と絶大な信頼を寄せる。岡部コーチは「SNS(会員制交流サイト)などで発信する際、会社のことを考えない案は、僕らも速攻却下された」と苦笑いしつつ「本当に一生懸命やってくれた」と感謝する。

 人事異動で4月から同社北海道統括支店業務課(札幌)に移り、事務局から離れる。

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