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<書評>占領下のエンタテイナー

寺島優著

日本芸能史 古きよき煌めき
評 九龍ジョー(ライター)

 中村哲(さとし)をご存じだろうか? 大スターとして日本芸能史に刻まれた名前ではない。私は知らなかった。世代の問題ではないだろう。むしろ、彼の名前だけが日本芸能史の空欄になっている印象さえ受ける。

 バンクーバー出身の日系カナダ人二世だ。青春期には近年、映画にもなった野球チーム「朝日軍」の本塁打王だったこともある。1940年に来日。声楽を学び、オペラからジャズ、ポップスまで歌った。戦後の進駐軍キャンプではトップシンガーとして引っ張りだこの人気に。下積み時代の財津一郎が弟子志願に来たこともあったという。俳優としても、数多くの映画に出演。とりわけ日米合作映画やB級映画の「怪しげな日本人」役として活躍した。

 以上、主軸となるキャリアを追えばこうなる。ただし、この評伝では、戦中の対敵謀略放送「ゼロ・アワー」との関わりや、日本のストリップの起源とも言われる「額縁ショー」への出演、ピーター・ポール&マリーをはじめとする海外ミュージシャンの日本公演の司会といった、サイドワークもまた強く印象に残る。結果として、その時々の社会状況やメディア環境を色濃く反映した歴史的現場にも居合わせた中村哲。多彩な芸の引き出しゆえでもあるが、より重要なのは以下の点だろう。

 「哲はそのころの芸能人にはきわめて稀(まれ)な、(略)舞台の上で臨機応変に通訳ができるほどの高い英会話能力を持っていた」

 彼の流暢(りゅうちょう)な英語は、戦後復興とともにアメリカ文化の受容に邁進(まいしん)する日本社会で輝いた。だが、経済発展を遂げ、憧れの熱も冷めてくると、光が強かったぶん、その陰影も深かったにちがいない。

 著者は中村哲の長男である。幼い頃より、母から「父は新しいレパートリーを増やそうとしない怠け者で頑固者」と聞かされていたそうだ。だが、父の死後、知人や関係者を訪ね歩き、その印象は覆されていく。

 そこには古きよき文化の煌(きら)めきを抱き続けた中村哲の姿があった。忘れていた宝物にふと気づかされたような読後感だ。(草思社 2750円)

<略歴>
てらしま・ゆう 1949年生まれ。東宝で多くの映画宣伝を担当。のちに漫画原作やテレビアニメ、舞台の脚本を執筆

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