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<書評>縁食論

藤原辰史著

緩やかに交流 分断和らげる場
評 平川克美(文筆家)

 私は毎日のように銭湯を利用している。仕事は、ほとんどの場合喫茶店で済ませる。考えてみればそれらの場所は、公衆浴場であり公衆オフィスである。もし公衆食堂というものがあれば、自宅は映画鑑賞か、寝るだけの場所になる。

 本書は孤食と共食の間に、「縁食」という概念を挟むことで、分断と孤立を余儀なくされる現代への解決策を提示している。

 「縁食」とは、歴史的な実体でもある。深川にある「深川東京モダン館」は、第1次大戦後の「市営食堂」の名残を現在に保存した観光スポット。当時、高騰する食糧事情への対応策として低所得都市生活者に対して、廉価かつ簡易な食事を提供する場所を自治体が作ったのだ。市営食堂は神楽坂にも、上野にも、ベルリン、プラハ、ウィーンにも存在していた。

 日本家屋にはかつて「縁側」という内でもなく、外でもない空間があった。郵便配達の爺(じい)さんが郵便物を届けるついでに、縁側でお茶を注いでもらい、ナス漬けやキュウリのお新香(しんこ)を摘んだ。内側と外側のスキマである縁側は、祭りや葬儀の折には、縁食の場になった。強い陽光の降り注ぐ農家の庭先から、縁側の内側を覗(のぞ)くとそこは暗がりで、暗がりには歴代の祖先が棲(す)んでいるかのように見えた。縁側は、此岸(しがん)と彼岸を繋(つな)ぐ通路の役割まで果たしていたのだ。

 こうした先行する公衆食堂や縁側をヒントに、著者は人々が緩やかに出会う場としての現代の「縁食」の場を構想する。銭湯で近隣の住人と触れ合い、脱衣場で牛乳を飲みながら語り合うように、「縁食」の場は学習支援をしたり音楽を楽しんだりと「文化が自然に溶け込む場所」にもなりうる。近代化は家族の解体へと進んだが、「縁食」の場は孤独を癒やしてくれる場であり、同時に家族の鬱陶(うっとう)しさから自由になれる場でもある。そこに、近代化が生んだ格差、孤立、分断を和らげるヒントがある。

 銭湯と喫茶店を生活の場にしている私は、本書を希望の書として読んだのである。(ミシマ社 1870円)

<略歴>
ふじはら・たつし 1976年生まれ。専門は農業史、食の思想史。2013年「ナチスのキッチン」で河合隼雄学芸賞、19年「分解の哲学」でサントリー学芸賞など

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