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④炭鉱閉山、減反…空知に国策の傷深く

 札幌市南区に、昭和の名残をとどめる商店街がある。真駒内上町の「上町名店街」。10店余りが軒を連ね、地域住民らに親しまれているが、もともと大半の店の経営者が美唄市内から来た移住者だった歴史はあまり知られていない。

■雇用少なく流出止まらず

 今も残る電器店を開いた松尾利雄さん(98)もその一人。炭鉱が華やかだった1952年に美唄市内で開業したが、国のエネルギー政策転換に伴う63年の三井美唄炭鉱閉山などで、客足が急激に落ち込んだ。「生きるのに必死だった。札幌と苫小牧のどちらに移るか迷ったが、街が大きい札幌なら安泰だと思った」。道の支援を受け、65年に約10店と真駒内に移転した。

美唄から真駒内へ移り住んだ松尾利雄さん
美唄から真駒内へ移り住んだ松尾利雄さん


 旧住友赤平炭鉱で25年働いた赤平市の三上秀雄さん(70)は94年の閉山後、市嘱託職員などとして働き、今は炭鉱遺産のガイドを務める。「何とか地元で再就職できたが、閉山後に働ける場所は少なかった。市も雇用の受け皿づくりを進めたが、人口流出を食い止めるほどではなかった」

住友赤平炭鉱跡で当時の作業の状況などを語る元炭鉱マンの三上秀雄さん
住友赤平炭鉱跡で当時の作業の状況などを語る元炭鉱マンの三上秀雄さん

■国策転換に翻弄されて…

 高度経済成長で札幌一極集中が進んだ60、70年代、炭鉱閉山による離職者らの流出が相次いだ空知管内は札幌にとって最大の人口供給源だった。この間、札幌市の記録に残る産炭地6市(夕張、美唄、芦別、赤平、三笠、歌志内)から札幌への転出が転入を上回った数は累計約10万人に上る。

 追い打ちをかけたのが…

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