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<デジタル発>伝えられなかった「最後のメッセージ」 弾圧の時代を生きた元教員が遺した原稿
2020年10月24日、北海道で一人の元小学校長(99)が息を引き取った。十勝管内音更町の松本五郎さん。戦時下の1941年(昭和16年)、旭川師範学校美術部在籍中に、学友との日常生活を描いた絵を理由に治安維持法違反容疑で逮捕。投獄された過去を持つ。病で実現できなかった東京芸大での「最後の講演」用の原稿が、書斎に残されていた。伝えられなかった最後のメッセージとは―。(文/くらし報道部 佐竹直子)
「死と隣り合わせの独房の中で恫喝(どうかつ)による自白の強要」
「一方的なでっち上げの調書で有罪判決」
「学校は退学 非国民のレッテルをはられて世の白眼視の中で生きざるを得なかった」
「不当な裁きであった」
小さな文字で悲痛な叫びがつづられていた。
日付は「2019年5月8日」。B4判原稿用紙2枚と、A4判のチラシ2枚の裏が使われていた。その1枚は同年5月14日に東京芸大で松本さんが講演する講座のチラシだった。事件当時、松本さんと一緒に逮捕された学友の菱谷良一さん(99)=旭川市=も登壇する予定だった。しかし、原稿の日付から2日後の5月10日、松本さんは脳梗塞に倒れた。東京芸大での松本さんの講演は、かなわなかった。
原稿は、昨年12月16日、長女の前谷弘子さん(68)=音更町=が、松本さんの書斎で見つけた。過去の講演会の原稿に手を入れたものや、逮捕された当時に描いた作品を撮った写真のコピーと一緒に、東京に持って行くためにまとめられていた。
松本さんは、「自由と平和のための東京藝術大学有志の会」が企画した「芸術と憲法を考える連続講座」で語る予定だった。
「『表現の自由』が奪われた時代を生きて」。有志の会は、松本さんを招いた講座のテーマをそう掲げていた。
松本さんは、戦時下に治安維持法で美術部学生らが弾圧された「生活図画事件」の生き証人だった。
生活図画事件は、1941(昭和16年)~42年に、働く人や生活の様子をありのままに描く生活図画運動に取り組んだ道内の教員や学生ら26人が、治安維持法違反容疑で逮捕された事件。そのうち18人が起訴され、3人が実刑、13人が執行猶予付きの有罪判決となった。道内で1940~41年に、暮らしや思いをありのままに書く「綴方(つづりかた)=作文=教育」に励んだ教員56人が逮捕され、旭川出身の作家・故三浦綾子さんの長編小説「銃口」の題材となった北海道綴方教育連盟事件と並ぶ、思想弾圧事件だ。
松本さんは、1920年(大正9年)鳥取市で生まれた。27年(昭和2年)に旧標津村中標津原野(現根室管内中標津町俣落)に家族で入植。1年浪人した末に、念願の旭川師範学校に入学した。
しかし、教職を目指す日々はある日突然、断たれた。師範学校で美術部長として活躍し、卒業目前だった5年生の秋、寄宿舎に特高警察が踏み込んだ。
1941年(昭和16年)9月20日。その日、松本さんは玄関の鍵を開ける週番だった。午前6時。松本さんが玄関の扉を開けると、待ち構えていた4、5人の男たちドカドカッと駆け込んできた。