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[第2話] 進化するメダル戦略 常識変えた北海道マラソン


 歓声を拾うかのように、両耳近くに手のひらを寄せ、ほほえみながら優勝のフィニッシュラインを越えた。「沿道の応援が途切れなかった。人がいっぱいいたことしか覚えていないんです」。1995年8月の北海道マラソンを語る有森裕子(53)は楽しそうだった。

不死鳥・有森 会心の復活劇


 92年バルセロナ五輪で銀メダルを獲得したあと、94年秋に両かかとを手術した。練習を再開したのは北海道マラソンの5カ月ほど前。「走れなかったらマラソンをやめようというくらいの気持ち。消えた選手と思われているなかで、ほんとうに温かく迎えてくれました」と振り返る。

東京五輪マラソンコースで当初の発着点だった東京・国立競技場前の有森裕子。1988年ソウル五輪で優勝したロザ・モタ(ポルトガル)の満面の笑みにひかれてマラソンを志した。大学4年だった=3月4日、東京都新宿区(富田茂樹撮影)
東京五輪マラソンコースで当初の発着点だった東京・国立競技場前の有森裕子。1988年ソウル五輪で優勝したロザ・モタ(ポルトガル)の満面の笑みにひかれてマラソンを志した。大学4年だった=3月4日、東京都新宿区(富田茂樹撮影)


 「不死鳥」とたたえられたこの勝利を評価された有森は、96年アトランタ五輪代表に選ばれ、2大会連続メダルとなる銅を手にする。「初めて自分で自分を褒めたいと思います」。涙声のインタビューはいまも語りぐさだ。

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