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[第1話特別編] 円谷さんの自死、悔しかった 盟友・君原健二の回想


 君原健二さん(79)は五輪マラソンで3大会連続出場を果たした。1964年東京は8位。68年メキシコで銀メダルに輝き、72年ミュンヘンは5位。東京大会で代表仲間だった円谷幸吉は同い年の友人で、直前の夏には札幌市で合宿している。若くして亡くなった友人と過ごした北の夏が忘れられない。=3月5日取材


――1964年東京五輪の2カ月前の8月に札幌市で代表合宿をしました。

 「私と円谷幸吉さん、寺沢徹さんと一緒に。8月23日には北海タイムスマラソンに出場して私は1位。2時間17分12秒でした。円谷さんが2位で2時間19分50秒。それから4日後に円山競技場で1万メートルの記録会を走りました。そのとき円谷さんは28分52秒。私は29分1秒でどちらも日本記録でした。前日に42キロを走り込んでいたのに、自分でもびっくりする記録が出ました。そのことがとてもうれしくて。自衛隊の円谷さんには畠野洋夫さんという立派なコーチがいて、宮地道雄さん、南三男さんという2人の練習パートナーもいて、円谷さんと4人でいつも行動していました。素晴らしいチームワークで、東京五輪の銅メダルもこのチームワークのたまものであると思っています」


 「(記録会の1万メートルで)日本記録をつくったとき、円谷チームの4人と私の5人で近くの売店の縁台で喜び合ってビールを飲みました。(会話は)全然、覚えていないんです。私は会話が苦手で、黙っていたほうが楽だから。円谷さんともいろいろご一緒しているけど、あまり会話を交わした記憶がないんです。円谷チームの4人が和やかに過ごしているし、そのときは私が4人の中に入り込んだという感じでした。4人はいつも和やかな雰囲気で過ごしていました。翌日の日誌には『昨日の記録会で1万メートルで日本記録をつくった。2位であったが近年にない喜びだ。久しぶりに酔って札幌のまちを遊んだ』と書いてあります」

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