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<書評>女であるだけで

ソル・ケー・モオ著

不幸耐え抜き知恵で抵抗
評 杉山晃(清泉女子大学前学長)

 冒頭の場面で、マヤ系先住民の女が、「しっかりとした足取りで」刑務所を出てくる。夫をナイフで刺し殺した罪で服役し、恩赦により5年ぶりに出所するところだ。だが、あまりうれしそうではない。亭主を殺したものの、恩赦を受けねばならないような犯罪者ではないと考えているのだ。彼女によれば、「自分の身を守るには他に手立てがなかったんだ。だって、みんなして、あたしの不幸を見て見ぬふりしてたんだ」。見て見ぬふりをした人は、どうやらかなり広範囲に及ぶ。案外、異国にいるわれわれまでもが、その範囲に入るのかもしれない。

 小説の舞台はメキシコ南部の州、先住民が多く、独自の伝統や習慣が色濃く残る地域だ。主人公の不幸は、父親が彼女を400ペソで「売り飛ばした」14歳の時に始まる。いや、彼女に言わせると、それよりもっと前、インディオとして生まれ落ちたときから不幸で、しかも女であることが加わって「不幸の塊」の人生を歩んできたというのだ。出所の折に集まった記者たちの問いかけに、「インディオで女なんていったら、不幸の塊さ。だから、あたしたちが幸せになるなんてありえない」と答えている。

 このあとそれを裏書きするエピソードが続く。差別、貧困、人権侵害、容赦ない夫の暴力…。夫も同じ先住民だが、いくつかの「決まり」を彼女に強いる。「俺よりも先にお前が飯を食うな」「俺が話をしている間、顔を上げるんじゃねえ」などだ。自身を呪縛する文化的因習も手伝って、彼女は耐えに耐え忍ぶ。

 だがある日、極限状況に置かれた女の忍耐は、ついに切れる。限界まで耐え抜いたものの、みんな「見て見ぬふりをした」というのが彼女の言い分である。しかし、作者のソル・ケー・モオは、「見て見ぬふりをしなかった」人も小説のなかにしっかりと描きこんでいる。その重層性はこの作品に大きな輝きを与える。彼女たちが示す知恵ある抵抗は、著者のめざす方向性のようだ。出所する女の足取りがしっかりとしているのもうなずける。(吉田栄人訳/国書刊行会 2640円)

<略歴>
1974年生まれ。メキシコの作家、通訳者。マヤ語先住民。邦訳作品に「穢(けが)れなき太陽」

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