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<上>帰国できない「ニセコ難民」 解雇され困窮、支援を切望
■高騰する航空券に手届かず
英国人のスチュアート・バックランドさん(30)はニセコ地域に残る外国人の一人だ。昨年11月に来日し後志管内倶知安町の旅行代理店で働いていたが、コロナ禍で予定より1カ月ほど早い3月中旬に解雇された。その後は、東京五輪スタッフとして働くはずだったが、延期で仕事が消えた。
母国に帰ろうにも減便された航空券の価格は高騰し、片道数十万円のチケットにはとても手が届かない。ワーキングホリデーで来日した外国人は雇用保険の対象外のため、失業給付もない。収入が途絶える中、1週間の出費を2千円にまで切り詰めたが、月3万円の家賃が重くのしかかる。「新たな仕事が見つからない。今のままなら持ってあと2カ月」と不安げだ。
倶知安、同管内ニセコ両町によると、4月末時点の両町の外国籍住民数は前年同月より3割多い1551人。リゾートを支えた外国人スタッフの一部が今、帰るに帰れず困窮する「ニセコ難民」になっていた。世界各地から人を引き寄せ、成長を続けてきたニセコ。コロナ禍はその様子を一変させている。
■「140人超が足止め」
「ニセコ地域では140人を超える外国人が職を失ったまま、今も足止めされている」。後志管内ニセコ町で治療院を営むオーストラリア出身のブレント・バーコさん(40)は、新型コロナウイルスの影響でニセコ地域に残った外国人の多くが窮乏していると訴える。
地域にとどまる外国人にインターネットを介して連絡すると、職を失った外国人の多くは帰国も困難な状況にあった。約140人のうち50人以上が食費も底をつきかけているという。
■知事に窮状訴える手紙
バーコさんは外国人の窮状をまとめ、4月下旬に鈴木直道知事に手紙で支援を求めた。「農家の手伝いや奉仕活動と引き換えに、社会保障の権利を与えてほしい」。地元産業や行政も協力し、残った外国人を救えないかと声を上げる。
もっとも今、外国人が別の仕事を見つけるハードルは高い。日本語ができないと採用の対象にならないものが多いうえ、ビザの制約も大きいためだ。
英国人のベイヤー・ジェラルディンさん(32)は幼児向け教育の特殊技術を生かして働く「技術・人文知識・国際業務」のビザで来日した。だが、勤めていた幼稚園を離職すると、ビザの制約から他の仕事に就けず、手作り布マスクの個人販売で、糊口(ここう)をしのぐしかないという。
■あえて母国に帰らず
一方、感染収束後の観光復興をにらみ、あえて母国に帰らない選択をした外国人もいる。
4月下旬、後志管内倶知安町のアウトドア体験会社ニセコアドベンチャーセンター(NAC)では、日本人と英国人の新入社員3人が、ゴムボートで川を下るラフティングガイドの訓練を受けていた。指導するのはネパール人のビマル・イタニさん(25)。日本語と英語を使い分け、救助用ロープの扱いなどを教えている。
ヒマラヤ山脈の急流でラフティングの経験を積んだ。語学も堪能なイタニさんは顧客と従業員、外国人と日本人をつなぐ必要不可欠な人材だ。NACは大型連休後も休業を続けているが、再開の日を見据え、新たなガイドの養成を続ける。イタニさんは「お客さんはいつかきっと戻って来る。それまでは技術を高めるとき」と前を向いた。
■「冬に1年分稼ぐ」転換探る
ニセコ地域の中心地、倶知安町ひらふ坂の商業ビル「オーディンプレイス」では、4人のフランス人が残り、営業する高級レストランの来シーズンの営業方針を議論している。
マネジャーのジェレミー・ボークーさん(34)は「変化する状況の中でどんな戦略が必要か。考えるのが僕らの責任だ」と話す。新型コロナの収束時期が見通せない中、冬の4カ月でほぼ1年分の稼ぎを生んだ例年のような営業は難しいとみる。
異国に残り、なお奮闘を続ける多くの外国人たち。コロナ禍は、世界中からあらゆる人が集まることで発展する国際リゾートの姿を浮き彫りにしている。国内の感染拡大が収束に向かっても、国境をまたいだ自由な人の移動が制限され続ける限り、ニセコ地域の日常は戻らない。(高橋祐二)
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新型コロナウイルスの感染拡大は、急速な発展を続けてきたニセコ地域にも影を落とす。危機をいかにして乗り越えるか。コロナ禍に揺れる現地の今を報告する。