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<書評>荷風と戦争

百足光生著

日記から再現 戦時下の東京
評 長薗安浩(作家)

 永井荷風が遺(のこ)した「断腸亭日乗」は、死の前日、1959年4月29日まで、40年以上にわたって書きつがれた。日記文学の傑作と称され、文芸評論家をはじめ、多くの研究者が関連する著作をものにしてきた。百足光生はそれを承知で40年(昭和15年)から45年(同20年)3月までの期間に注目し、荷風の記述を手がかりに戦時下の東京を描こうと試みた。

 日中戦争が進行する40年、東京オリンピックは返上されたものの、世間は神武天皇即位紀元2600年の奉祝気分に浮かれていた。荷風は冷徹な目でそれらを嘆く一方で、不足しはじめた生活物資や食糧のやりくりに苦労する。麻布の自宅「偏奇館」で独身生活を送る荷風は資産家でもあったが、現物がなければどうしようもない。

 厳しい状況は翌年も続き、暮らしに関わる規制も強化されていく。そして日米開戦の日、荷風は街の喧騒(けんそう)を遠ざけ、久しぶりに新しい小説を起稿する。年が変わってしばらくすると戦況は悪化し、ついに配給制度がはじまる。すでに還暦を過ぎていた荷風はそれ以後、知人らからのもらい物に助けられて生活するようになる。

 百足は、荷風の日記文の時代的な背景や難解な語句の解説だけでなく、各年の世相、戦況、食糧事情、風俗業等と荷風の関係性も詳しく紹介し、当時の東京がどのように変容していったか明らかにする。

 その成果なのだろう。この400ページを超える大著を読み進めるうちに、資料でしか知らないはずの戦時下の東京が、少し立体的に見えてきた。生活物資や食糧難に困窮しながらも、助け合いつつ戦況を憂う人々の表情や口ぶり、そして暗く荒(すさ)んでいく街並み…。そんな東京で、食糧を求めながらマイペースで歩く荷風老人。百足の狙いは首尾よく達成されたようだ。

 だからこそ、44年(同19年)に空襲がはじまっても疎開しなかった気丈夫な荷風が、翌年の東京大空襲で偏奇館を失う場面は胸を打つ。それは、まるで火葬されていく自分を看取(みと)るような厳粛さに満ちていた。(国書刊行会 3960円)

<略歴>
ももたり・みつお 1949年生まれ。月刊総合誌の編集者を経て編集プロダクション設立。呉光生名義での著書に「大江戸ビジネス社会」など

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