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<書評>サル化する世界

内田樹著

目先だけの社会 その先に待つのは
評 辻山良雄(書店店主)

 わたしがこの仕事をはじめた1997年、すでにバブルは崩壊し、書籍の販売金額も下り坂に差し掛かっていたとはいえ、社会にはまだどこかに楽天的な空気があった。それから二十数年、気がつけば暮らしは苦しくなる一方、不誠実な政治家の数は増え、隣人が隣人ではない、分断された社会に私たちはいる。そんなときこの本が店頭で手に取られているのは、多くの人の言葉にならない思いに応えるものだからだろう。

 本書が扱っている分野は、こじらせてしまった隣国との関係や経済原理が幅を利かせる教育分野、人口減少と高齢化社会についてなど多岐にわたる。世のなかに起きている諸現象を、年長者としての経験と知性から横断的に読みほどいていく著者の語り(もはや〈芸〉に達している)にはカタルシスがあり、読む快楽を喚起する。

 本書を貫くキーワードとして多くの問題の底にあるのは、タイトルにもなっている「サル化」である。ここでのサルとは古代中国の説話「朝三暮四」に登場するサルのこと。つまり「目先のことさえよければ、後から想定される困難はどうなってもよい」という態度を指すが、確かにそうした言説は、政治家や企業のトップの発言にはじまり、町で交わされる会話、SNS(会員制交流サイト)で散見するつぶやきにも増えている。

 信用性のある社会では、想定されるリスクへのコストが減り、その分創造的な物事に資源を注力できるだろう。しかし「サル化」された社会には草も生えず、創造性が生まれる土壌は失われる。幸いにも著者は、国民の資源が底をついた訳ではなくそれを制御する仕組みが破綻したから、元に戻せるはずだという。不都合な出来事には目を背け、「そのうちなんとかなるだろう」とやり過ごすのは、われわれの社会が得意とするところかと思うが、その消費者マインドの先に何が待ち受けているのか、もはや状況は待ったなしである。

 内田氏の著作は多いが、これは広く読まれるものの一つになるだろう。時宜を得た社会批評だと思う。(文芸春秋 1650円)

<略歴>
うちだ・たつる 1950年生まれ。思想家、神戸女学院大名誉教授。「私家版・ユダヤ文化論」で小林秀雄賞、「日本辺境論」で新書大賞を受賞

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