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第三章 再会

 僕の記憶の立ち上がりは、ほとんど、現実を最後まで拒否していたかのように遅かった。小学校に入学する以前のことを、僕は何も覚えていない。父は、母はともかく、僕にさえ、その後、一度も会いに来ることがなかった。

 当然、少年時代には、僕は父を恋しがり、恨みもしたが、他方で自分をどこかのあっと驚くような人物の落胤(らくいん)ではないかと夢想することもあった。

 母が、父のことを決して悪く言うことがなく、ほとんど美化さえしていたことも、その根拠となっていた。

 

 母はその後、一人で僕を育てながら、職を何度か変えて、最後は、団体客相手の安い旅館で下働きをしていた。

 今の世の中では、あの年齢で仕事にありつけただけでも満足すべきだが、不本意だったに違いない。

 母自身は、決してそう口にしなかった。しかし、側(そば)にいる人間にとっては、難しくない想像だった。

 一体、今のこの国で、仕事から生の喜びを得ているという人間が、どれほどいるだろうか? こんな問いは、冗談でもなければ、人を立腹させる類いのものだろう。

 大半の人間が、自分の存在の根源的な感覚を、疲労と空腹に占拠されている社会で、僕は母の「もう十分生きた」という言葉を聞いたのだった。

 それでも、僕がいた。母は、完全な孤独の底で、見捨てられたように蹲(うずくま)っているのではなかったはずだった。――僕の将来のためか? お金を遺(のこ)すために? それも母が口が裂けても言わなかったことだが、当然に僕は考えた。しかし、本当に僕のことを心配するなら、もっと長く生きてくれた方がいいに決まっているのだし、そのことは何度も言った。

 母には、何かがあったはずだった。どうしても、僕に語ることの出来なかった具体的な出来事が。

 老いはなるほど、漠然と人に「もう十分」と感じさせるのかもしれない。しかし、だったらなぜ、他の人たちは、母のように安楽死を決断しないのか?

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