PR
PR

【奥井迪さん】ガールズケイリン最多勝を更新中

 競輪で残り1周半になると「ジャン」と呼ばれる鐘が鳴らされ、選手たちの前を走る先頭員がバンクを外れる。激しい競争の始まりだ。ここで力強くペダルを踏み、火の玉のように先行する女子選手がいる。札幌生まれで公立中学教諭から転身した奥井迪さん(37)だ。2012年に始まったガールズケイリンで初の300勝を達成し、現在も最多勝を更新中だ。勝つのが最も難しいとされる先行で勝利を重ねられる理由を聞いた。

 ――ガールズケイリンの3期生として、1、2期の先輩たちを追い抜いて最多勝。通算勝率は70%を超えています。

 「競輪を始める前は、ここまでできると自分でも思いませんでした。師匠である富山健一さん(元男子競輪選手)に鍛えられたのが大きいです。富山さんが拠点としている東京の立川にも縁を感じました」

 ――縁というと。

 「6歳違いの兄(理(みがく)さん)が美大進学を目指して予備校に通い、交通事故で19歳で亡くなった場所が立川なんです。デビュー前は立川競輪場で師匠がバイクにまたがり、私がその後ろについて朝から日が暮れるまでびっしり走りました。今も練習を見てくれます」

■31歳で教師から転身 ボロボロのデビュー戦には泣けた

 ――競輪学校は首席で卒業したわけではありません。

 「31歳という決して若くない年齢で入学しました。卒業した同期18人のうち成績は6番目。32歳で迎えた佐賀県でのデビュー戦はボロボロの結果で、これから生活していけるかな、とちょっぴり泣けました。次の名古屋で初優勝できたのですが、それでもまぐれだと思っていました」

 ――そこから勝利を重ねます。しかも先行という最も過酷な戦法で。

 「競輪学校時代に男子競輪で最高峰のグランプリというレースを録画で見て、前を走って自分の力で優勝する選手の姿に鳥肌が立ちました。この時、ただ勝つのではなく、魅(み)せるレースをして、お客さんの心を揺さぶる選手になりたいと思いました。ガールズは男子のように選手同士が連携するのではなく個人戦です。後ろで守ってくれる選手がいないので、先行で勝つのは男子よりも難しい。でも一番きつい方法で勝てたら見ている人に何かが伝わると思いました」

 ――先行そのものの難しさとは。

 「空気抵抗が多いところです。先行選手の後ろにつけば4割の力で走れると言われています。先行選手の後ろで力を蓄えて決勝線(ゴールライン)直前に前の選手を追い抜く『差し』という戦法に比べると、先行で勝つには圧倒的に強い脚力が必要です」

 ――どうして勝てるのですか。

 「ここまで積み重ねた練習量は誰にも負けないし、最近はジムに通うなど練習法も毎年進化させています。競輪は一年を通じて各地でレースがあり、オフのない競技ですが、足腰が痛くなるような故障がないのも大きいです。丈夫な体に産んでくれた両親に感謝しています。先行しているので、落車に巻き込まれてけがをすることがないのも理由に挙げられます」

 ――学校の先生から転身したのはどうしてですか。

 「アルペンスキーに打ち込んでいた大学時代、練習は自主性が重んじられていました。口では『世界を目指す』と言いながら、自分の甘さが出てしまい、実際は努力しきれなかった。その後悔もあり、『やりきりたい』との思いがくすぶっていたのだと思います。子供が好きで、先生の仕事も大好きでしたが、先生になって何年もたってからガールズケイリンの話を聞き、これだと思いました。スキーのトレーニングで自転車には慣れており、競輪学校の体験会に参加した時、『このタイムなら学校を卒業できるぞ』と言われてその気になりました」

 ――公営ギャンブルの選手へと、不安定な転職をすることに周囲の反対は。

 「父は元公立高校教諭で母も元公務員。両親は『自分の人生だから自分で決めなさい』と言ってくれました。後に母親から『あの時は頭をかち割られるほどのショックだった』と打ち明けられましたけど。生まれ育った札幌に競輪場がなく、私はギャンブルという抵抗感はなかったです。ただ安定した職を捨て、生活できるかどうか分からない世界に飛び込むには相当な覚悟が必要でした」

 ――覚悟ですか。

 「競輪に私の人生の全てを懸ける覚悟です。競輪に対する気持ちはガールズの中で誰にも負けません。努力しきれなかった大学時代や先生の経験があってこその気持ちの強さです。仮に若い子が『先行やります』と言っても、先行だとなかなか勝てないので、続けるには強固な気持ちが必要です。だから女子では後にも先にも私にしかできないと思います」

 ――世の中にはやりたいことに踏み出せない人が多くいます。アドバイスするとしたら。

 「迷っているのならやった方がいい。やらないで後悔するより、一歩踏み出して全力でやりきれば後悔はない。私はこっちの世界に来て本当に良かったと思っていて、決断をした当時の自分を褒めたい。先日、競輪記者の方が『本当は教師志望だった』と言っていたので、絶対に教師をやった方がいいと言いました」

■「先行」で勝つ お客さんの心揺さぶる選手になりたい

 ――脚で稼ぐ世界に入って6年目。悩みは。

 「最初は何も考えずに勢いで先行していましたが、今は女子のレベルが上がり、スタート前は先行していいのか毎回不安になります。そんな時はサッカーの三浦知良さんの本で読んだ言葉を自分に言いきかせます。『敵は俺が思うほど強くはない。俺は俺が思うほど弱くはない』と。仕掛けるのが先行よりも遅い『捲(まく)り』もするようになりましたが、どちらも他の選手の力を使わず、自力で勝つというのは同じ。今後も自力にこだわっていきたいです」

 ――今後の目標を教えてください。

 「年間数試合あるビッグレースのタイトルはまだありません。最大の目標は年末のガールズグランプリで、2016年と17年はともに2着。特に17年はタイヤ差(約3センチ)でした。報われないなぁ、と思いましたが、それも実力。今年の年末にはホームの立川競輪場でグランプリがあるので、そこで勝つのが今の目標です」

 ――奥井選手が望む競輪界の将来像は。

 「道内の競輪場は函館のみなので札幌にもできてほしい。プロ野球の北海道日本ハムのように、会社帰りに選手を応援しに行く文化ができるとうれしいです。競輪場も競馬のようにおしゃれな施設にして、車券を買わなくても、若い人が気軽に行ける場所になってほしいですね」

<略歴> おくい・ふみ 1981年札幌市生まれ。札幌第一高2年の時にアルペンスキーの全国高校大会(インターハイ)回転で優勝。早大では国体成年A組も制した。卒業後は札幌市立藤野中などで保健体育教諭を務めた。2013年に退職し、競輪学校(静岡県伊豆市)に入学。2014年にデビューした。今年1月にはガールズケイリン初の300勝を達成。通算327勝は歴代1位。年間の獲得賞金額は約1500万円。

<ことば>ガールズケイリン ロンドン五輪で女子ケイリンが正式種目となったのを機に2012年、48年ぶりに復活した。これまで8期生までが競輪学校を卒業し、現在の選手数は138人。全員が「L級1班」の格付けとなる。カーボン製の自転車フレームを使い、7人が個人で戦う(男子は通常9人)など国際大会に準じており、通常の男子競輪とルールが異なる。

<ことば>競輪用語
先行…先頭を走る戦法
捲り…終盤に先頭に出る戦法
差し…決勝線の寸前で先行選手を追い抜く戦法。追い込みとも呼ばれる
ガールズグランプリ…年末に行われるガールズケイリン最高峰レース。獲得賞金などで上位7人が一発勝負で挑む
競輪場…競輪を統括する財団法人JKAによると全国に43カ所ある
バンク…競輪場の競走路。国内には1周333.3メートル、335メートル、400メートル、500メートルの4種類がある

<後記> アルペンスキーをしていた高校生の時から取材している。ガールズケイリンを代表する選手となった今も、本音を素直に話すのは当時と変わらない。真面目で練習熱心。若手から「目標とする選手」に名前が挙がるのもうなずける。名前の「迪」の字は父親が北大生だった時に住んだ恵迪寮からとっており、「人を教え導く」との意味が込められているという。先生ではなくなったが、「全力でやれば道は開ける」と自らの行動で示していると思う。(運動部 佐藤大吾)

どうしん電子版のご案内
北海道新聞 購読の申し込みはこちらから
新聞配達スタッフ募集
試合速報・結果
  • プロ野球
  • Jリーグ
  • サッカー代表
  • 大相撲
  • 甲子園
  • ゴルフ
  • 大リーグ
  • Bリーグ
スポーツ情報メガ盛り メガスポ
PR
ページの先頭へ戻る