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認知症だと語った 世界が変わった 6年前39歳で診断、丹野さん旭川講演

 もの忘れが増える不安や認知症と診断されたときの絶望、家族の会との出会い、周囲にオープンにして開けた新たな世界―。仙台市在住の丹野智文さん(45)は若年性アルツハイマー型認知症と診断されて6年。全都道府県を回って自身を語り、認知症になったことを悔やまず受け入れて生きる姿に感動の輪が広がっている。誰もがなり得る認知症について、当事者の発信は圧倒的な説得力を持つ。旭川市内で今月開かれた講演を詳報する。

■おかしいな、なぜ覚えていられないのだろう

 私は39歳で認知症と診断されました。現在、妻と娘2人の4人で暮らしています。診断後、半年ほどで、子供たちに話しました。入院したので病気なのは子供たちも知っていましたが、どういう病気なのかは知りませんでした。

 一緒に暮らしているので記憶が悪くなっていくのは感じていたかと思います。不安だったのか、ある日、妻に「パパ死ぬの?」と聞いていました。心配をかけて悪かったなと思い、話しました。

 診断の後、妻と2人で会社に伝えました。社長から「長く働ける環境をつくってあげる」と言っていただき、会社の理解の下、仕事を続けられ、今は事務をしています。

 もともとは営業でしたが、診断の5年ほど前から物覚えが悪くなったと感じ、仕事をしっかりやりたいとの思いから、予定を記入する手帳をノートに変更し、細かな内容など書く量が増えました。

 それでも、どの人が顧客か分からず、上司から怒られることが増えました。その度、言い訳しかできず、時にはうそもつきました。おかしいな、どうして覚えていられないのだろうと思いましたが、誰にも相談できませんでした。

■妻が帰り病室で一人。涙がこぼれてきました

 毎日、顔を合わせているスタッフの名前も出てこなくなり、声をかけたくてもかけられなくなりました。以前とは違う何かを感じ、病院へ行ってみることにしました。

 「ストレスですね」と言われれば自分でも納得し、気持ちが楽になると考えていました。しかし、紹介状を書くから大きな病院に行くよう言われました。大きな病院ではアルツハイマーの疑いがあるが、この若さの診断をしたことがないと言われ、大学病院に入院することになりました。

 入院までに数日間あったので職場で話すと上司からは、「アルツハイマーだったら大変なことだぞ」と言われ、私の中で「アルツハイマー=終わり」だと感じました。

 大学病院での検査結果は妻と2人で聞きました。アルツハイマーで間違いないと言われました。妻に心配をかけたくないから平然とした顔をしましたが、ふと隣を見ると妻が泣いています。その姿を見て「アルツハイマー=終わり」を思い出しました。妻が帰り病室で1人になると、目から涙がこぼれてきました。

 日中は病院の人と話をするので病気のことはあまり気にならなかったのですが、夜になり寝ようとすると、不安で眠れませんでした。どんな病気なのか、もっと知りたいと思い、携帯電話を使いインターネットで調べました。

 「30代 アルツハイマー」と検索すると、若年性認知症は進行が早く、何も分からなくなり、寝たきりになるといった情報しかありません。悪い情報ばかりが目につきました。調べれば調べるほど「早期絶望」だと感じました。

 仙台で治せる病院がないか期待を込めて「宮城県 アルツハイマー」で検索しました。そこで認知症の人と家族の会があることを知りました。

 この先どうしたらいいか、仕事をクビにならないか、不安でいっぱいだったので、国からの支援がないかと区役所に行きました。40歳以下の場合、介護保険も使えないので何もないと言われました。

 その帰り道、家族の会の事務局に寄ると、「若年のつどいがあるよ」と教えてくれました。ただ、近い年齢の人がいるか聞くと、若くて60歳ということでした。やっぱりそうか、1回だけ顔を出して嫌なら行かなければいいやという気持ちで足を運びました。

 ところが、みんなが優しく声をかけてくれて、話をしてみるとみんな同じ病気、飲んでいる認知症を遅らせる薬も同じ。なんだかうれしくなりました。「助かった。自分の病気のことも言える」「分かってくれる人がここにいる」と感じました。

■選んだのは悔やむのではなく、共に生きる道

 その後、笑顔で元気な認知症当事者と出会い、10年たっても元気でいられることも知りました。私が選んだのは認知症を悔やむのではなく、認知症と共に生きるという道です。家族と過ごす時間が増えた、家族の会の人々と知り合えた、たくさんの人の優しさに触れ合えた…悪いことばかりではありませんでした。

 「認知症=終わり」ではないことにも気付きました。

 つらいのは病気になったことではなく、妻子や両親に心配をかけていることです。困るのは認知症だと誰も気付かないことです。初期の認知症は見た目には普通の人と変わりないからです。普通に話しかけられ、物事も頼まれます。やろうとしますが、できないこともあり、そうすると全てが嫌になってしまいます。

 そこで私は病気をオープンにしようと思いました。病気だと分かってもらえば、サポートしてくれる人がたくさんいることを知ったからです。

 ただ、私自身がオープンにしていいと思っても、家族に迷惑がかかるのではないか、子供たちがいじめられたりしないかなどと考えました。両親は「自分の思うようにしなさい」と言ってくれました。

 子供たちには、「友達に知られるかもしれないよ」と話しましたが、「パパは良いことをしているんだからいいんじゃない」と言ってくれました。私はその言葉で、オープンにしようと決めたのです。

 しかし、偏見があるのでオープンにできないと言う人が多いのも事実です。私はその人自身や家族の心の中に偏見があるのだと感じます。「周りから何を言われるだろう」「どのように思われるだろう」と考えてしまうからです。

■環境さえ良ければ、笑顔で楽しく過ごせると知りました
学生時代の部活仲間と会う機会がありました。行くまでは「みんなの顔、覚えているかな」「昔のこと、忘れてないかな」と心配でした。病気のことを伝え、冗談交じりで「次に会うとき、みんなのこと忘れてたらごめんね」と言うと、「大丈夫。おまえが忘れても、俺たちが覚えているから」と言ってくれました。

 自分がみんなのことを忘れても、みんなが覚えていてくれる。だから忘れたっていい。そう思って生活していこうと思えるようになりました。

 認知症になっても周りの環境さえ良ければ、笑顔で楽しく過ごせることを知りました。認知症と診断された後、環境が一番大切だと感じています。これは若い人でも年配の人でも同じだと思います。

できること奪わないで 少しの言い方でも、怒られたと感じます

 認知症というと、何もできなくなるのでやってあげなければ、と思っている人が多いでしょう。でも介護が必要なのは、重度になってから。診断されると介護保険の話をされるので、すぐ介護が必要になると連想し、何もできないと決めつけていたのでは?

 できることを奪わないで。時間はかかるかもしれませんが待ってあげて。1回できなくても、次はできるかもと信じてあげてください。できたとき、当事者は自信を持ちます。善かれと思って全てをやってあげたり、できないと決めつけてやってしまうと自信を失い、本当に、何もできなくなってしまいます。

 失敗しても怒らない、行動を奪わないことが、当事者の気持ちを安定させ、進行を遅らせるのだと思います。失敗しても怒られない環境が認知症当事者には必要なのです。

 ちょっとした言い方でも、当事者は不安からなのか、怒られていると感じてしまいます。当事者は失敗したことが分かっています。なぜ失敗したかが分からないだけ。失敗して悪かったと思っているのに怒鳴られると、どうしようもなく怒りに変わります。

 当事者は失敗ばかりするので、家族や周りの人に迷惑をかけてはいけないと思ってしまいます。そして迷惑をかけないようにと、何もしなくなる人が多いのです。

■誰でもなり得るものです みんなで支え合う社会を作りましょう

 認知症の人は診断直後から守らなければならないと思われてきました。そのことで気持ちが落ち込んでいる当事者がたくさんいます。その人たちをなんとかしたいのです。

 目が悪い人も、0・7、0・1、0・01など、人それぞれ違うし、みなさん違う度数の眼鏡をかけています。ひとまとめにして0・01用の度の強い眼鏡をかけさせたら、どうなると思いますか?

 合わない人は動けなくなってしまいます。このようなことが認知症の当事者には普通に起きていて、初期でも重度と同じく介護の必要な人としてひとまとめにされている現実があります。認知症だっていろいろなタイプがあり、いろいろな段階があります。

 そして認知症と高齢者の老化も、ひとまとめにしているような気がします。「うちの施設にいるお年寄りと丹野君は全然違う」と、よく言われます。何を言っているのだと感じます。認知症を抜きにしても40代と80代は全然違うでしょう。年をとれば耳も目も体も衰えます。だから高齢者は生活に支障が出るのではないでしょうか。

 それを抜きに、認知症という言葉で同じにするからおかしいのです。病名から人を見るのではなく、目の前の人をきちんと見る必要があります。確かに進行して介護が必要な人もいます。でも、その人にも初期の時期があったことを忘れないでほしいのです。

 多くの当事者や家族と話をしてきました。1テンポ、2テンポ遅れるだけで、家族が当事者に代わって話をしてしまったり、当事者を前に「この人は何もできなくなった」「話ができなくなった」などと言う光景を見てきました。

 当事者はまだ、聞くこともできるし考えることもできるのに、そんなことを言われたら落ち込みます。よく認知症の人は怒るようになると言われますが、怒る人になったわけではなく、怒らせていることを分かってほしいのです。

 私が告知され、不安でいっぱいだった時、どこに何を聞いたらいいのかも分からずにいました。私は自分で家族の会を知り、そこでいろいろなことを教えていただき、不安が解消されていきました。何も分からないことが不安を増します。認知症は決して恥ずかしい病気ではなく、誰でもなり得るものです。できなくなることもありますが、できることもたくさんあります。

 ますます増えていく認知症。みなさんもいつなるか分かりません。みんなで支え合う、認知症になっても大丈夫な社会をつくりましょう。互いに助け合うことに抵抗がなくなる環境ができれば、どんな障害があっても安心して出かけられます。そして誰にとっても優しいまちになるのではないでしょうか。(編集委員 石原宏治)

<ことば>若年性認知症 65歳未満で発症する認知症のこと。国の調査では全国に3万8千人と推計されている。道は2012年の調査で道内に771人を把握、アルツハイマー病が50%、脳血管性が25%だった。認知症全体では12年の調査で462万人。25年には730万人に達するとみられている。

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