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渋沢栄一、明治末期に小樽訪問 急発展の港など視察

 新1万円札の「顔」に決まり注目されている実業家、渋沢栄一(1840~1931年)は1908年(明治41年)に初めて小樽に来訪。小樽港に完成したばかりの長大な防波堤や石炭の出荷施設を視察していたことが日記などから分かった。急発展中だったマチの様子を伝える描写もあり、小樽でも渋沢への関心が高まりそうだ。

 明治時代に数多くの銀行や企業の設立に関わり、日本の資本主義の礎を築いた渋沢は、主立った役職から退く前年の1908年夏、家族を伴った視察旅行で北海道を回った。訪問先などは細かく日記に記載しており、小樽には8月16日夕に到着。開陽亭(後の魁陽亭)に3泊した。当時の小樽新聞は1面に渋沢の肖像写真を載せて大物経済人の来樽を報じている。

 17日は朝食後、まず国内初の本格的な外洋防波堤として広井勇博士の設計で小樽港に造られた北防波堤を船から視察。「広井土木技師ノ設計ニシテ頗(すこぶ)ル堅牢(けんろう)ナリ」と日記に書き、高島の水産試験所や手宮の出炭用桟橋と貯炭所も訪れた。

 翌日は小樽二十銀行支店に寄った後、花園小学校を第1会場として開催中だった水産共進会や稲穂女学校で開かれていた商品陳列会の会場を訪問。相談役を務めていた小樽木材会社の工場も訪れ、精力的な視察を行っている。

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