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<第11部 登別温泉かいわい>16 地獄まつり 巨大な閻魔、大王が厄払い

 登別を代表する夏のイベント「登別地獄まつり」。年に1度、地獄谷の釜のふたが開き、閻魔(えんま)大王が鬼たちを引き連れて温泉街に現れる―という「伝説」を元にしている。あまりに良くできたこの伝説はいつ、誰が創作したのだろうか?

■広告代理店が創作

 いろいろ聞いて歩いたが、古い話でなかなか知っている人が見つからない。「御やど清水屋」の岩井重憲社長(71)に尋ねると「ああ、そりゃ(大手広告代理店の)電通だ」と拍子抜けする答えが返ってきた。

 地獄まつりは1964年に始まった。札幌では早くから「雪まつり」、洞爺湖温泉では「湖水まつり」を開催しているのに、登別温泉は何もしようとせず「地獄谷にあぐらをかいている」といった批判が当時あったという。

 地獄まつりが誕生する前、「登別温泉観光まつり」「温泉祭り」といったイベントが開催されたが、村まつりの域を出なかったそうだ。

 地獄まつり誕生のいきさつは、登別観光協会(現在の登別国際観光コンベンション協会)がまとめた「登別観光史2」に書いてある。

 64年1月、第一滝本館の一室に、当時の登別町の岩倉誠一町長、南邦夫町議会議長・観光協会長ら7人が集まった。観光協会の猪俣二郎常務理事が「地獄谷にちなんで鬼を主役にした観光まつりをやりたい。具体的な案は決まっていないが、電通にプロデュースを任せる」と話し、岩倉町長も「分かりました、やりましょう」と同意した。

 当初の地獄まつりは、現在とはだいぶ趣を異にしていた。町内会や地元企業から約千人が参加する「鬼踊り大群舞」も、ブラジルのリオのカーニバルを意識したラテン調の「鬼おどり」という曲だった。振り付けも平たんな道を想定していたようで、温泉街の坂道にはそぐわなかった。現在の純和風の「地獄ばやし」になったのは5回目からだ。

■1億円かけて製作

 地獄まつりの目玉「エンマ大王からくり山車」が登場したのは30回目の93年。約1億円かけて製作した長さ9メートル、幅4メートル、高さ6メートルの巨大な閻魔大王が、怒りの形相で極楽通りを練り歩き、厄災を払ってくれる。普段は閻魔堂に納められ、1日6回、観光客に鋭い眼光を光らせる。

 岩井社長は「温泉街のみんなが知恵を絞って、回数を重ねるごとに改良、発展させ、本当の登別温泉のまつりとして定着させた」と振り返る。

 岩井社長がまつりの実行委員長を務めた時は、歌手の細川たかしさんや石川さゆりさんを呼んだ。数百万円もかかったが、観光客には大好評だった。

 「呼ぶのにお金がかかりすぎた。今考えると、どうかと思うけどね」と岩井社長は苦笑する。

 ただ、当時は細川さんも石川さんも大ブレークする前。細川さんが地獄まつりを訪れた1982年、「北酒場」でレコード大賞を受賞した。政治家の故竹下登氏も、故橋本龍太郎氏も、登別を訪れてまもなく首相の座を射止めたという。

 「地獄まつりは実は天国まつり。出世したいやつは来るといい」。岩井社長はにやりと笑った。

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