PR
PR

「温かい手」か「冷たい技術」か? デンマーク 福祉へのテクノロジー導入

富士通総研経済研究所上級研究員兼
慶應義塾大学GICセンター非常勤講師
森田 麻記子


写真 デンマーク・ユトランド半島の中心部に位置する湖の風景


■トイレ介助のケース

 「身体的障害があって自分ひとりではトイレに行けなかった人が生まれて初めて、ひとりで用を足すことができたその瞬間を想像してみたら、どんな気持ちになる?」

 2、3年前のことだっただろうか。デンマークで看護師や教員など専門職を育成する教育機関に勤める義理の叔母と軽いランチを楽しんでいたときのことだ。近況を報告し合っていたとき、福祉の実践にテクノロジーを導入することについての話題が出た。当時、デンマークの医療や福祉領域にテクノロジーが多く導入されていることは、すでに知っていた。

 だが、現場では反発や抵抗はないのだろうか? 私は素朴に疑問に思ったことを聞いてみた。そのとき、彼女が聞き返してきたのが冒頭の問いであった。続けて、人の手で行われるケアと、テクノロジーによるものを対比して「温かい手と冷たいテクノロジー」という言い方をすることがあると言った。

■ひとりでできる喜び

 「温かい手と冷たいテクノロジー」は特に、職員による抵抗感を表しているそうである。彼女によれば、実習等の経験が少ない、入学年数の浅い生徒の方が、テクノロジーに対して抵抗感が強いように見受けられるという。しかし、抵抗感の強かった生徒の考えが変わる瞬間を何度か目にしてきたとも付け加えた。

 例えばその一つは、まさに冒頭の発言のとおり、自力ではトイレに行くことがかなわず、生まれてからずっと介助を必要としてきた人が、機器のおかげで、人生で初めて「誰か」の存在を間近に感じることなく一人で用を足すことができたその喜びを目の当たりにしたときであったという。

 このように実際の瞬間を現場で経験すると、考え方が変わっていくことがある。もちろん、テクノロジーといっても様々な種類があるし、用途もそれぞれである。加えて、テクノロジーが何でも解決するわけではなく、人が担うべきところも多くある。それもまた認識されており、教育にも反映されている。


写真 デンマークのスマート老人ホーム


■福祉より広い「個人の幸福」へ

 予測される利益や効果を手放しに賛美し盲目的にテクノロジー活用を推進しているわけではなく、教育課程において正負の両面からテクノロジーの活用を学ぶ要素が既に盛り込まれているというのは非常に興味深かった。

 負の面もあることも理解したうえでうまく活用する方法を検討している-。叔母の話からはそんなデンマークの現場での模索の姿が見えた。

 「キャッシュレス社会デンマーク デジタル化推進の背景にあるもの」(https://www.hokkaido-np.co.jp/article/187058)で触れたようにデンマークでは社会のデジタル化が進み、今年7月に国連が発表した電子政府ランキングでは1位を獲得、欧州連合(EU)が発表している社会のデジタル化指標においても5年連続でヨーロッパ第1位に輝いている。

 そんなデンマークではこのように、へルスケア領域でもデジタル化が進んでいる。今年で導入50年を迎えたデンマーク版マイナンバーであるCPRナンバーと医療データが結びついた医療ポータルの活用や遠隔医療・遠隔リハビリの全国展開なども進んでいる。

 福祉分野で利用される技術は「ウェルフェア・テクノロジー」と総称され、現場での活用が進む。ウェルフェアとは日本語で福祉と訳されるが、デンマークでは個人の幸福を包含するようなより広範な意味合いを持っている。

■未来の老人ホーム

 このような流れのなかで、2014年には北部の主要都市、オールボー市で新たな試みとして様々な「ウェルフェア・テクノロジー」を備えたスマート老人ホームがオープンした。その名も「未来の老人ホーム」である。


写真 スマート老人ホームの内部


 老人ホームという名称であるが、実際は日本のサービス付き高齢者向け住宅と類似の住まいであり、入居者は各部屋を借りている借主である。下図に示したのは、ここに導入されているテクノロジーの一例である。筆者は現在、オールボー大学のJeppe Agger Nielsen氏、Jon Aaen氏、および大阪大学の石黒暢氏と共にこの老人ホームを対象に共同研究を行っており、一部の職員と居住者にインタビュー調査を実施した。


図 使用されている「ウェルフェア・テクノロジー」の例


 中でも、彼らが最も評価していたのは床センサーである。特に夜間の巡回が著しく減ったことが双方にとって良い結果につながっている。居住者にとっては、見回りの物音が気になり夜間に何度も目が覚めてしまうということが避けられるようになり、また自身のプライバシーが守られているという認識にもつながっている。職員にとっては、巡回による負担の軽減が実感されている。床センサーでは感知しきれないであろうと予測されるリスクを抱える居住者への見回りに集中できるようになったことが大きい。

■「共に暮らしていく」実践

 このホームがオープンしてから4年。もちろん、利点のみが実感されているわけではない。例えば、当初は職員や利用者の家族が「テクノロジーが何をしてくれるか」、「どう役立つか」という視点でホームでの生活を捉えていた側面がある。換言すれば、テクノロジーが個人の日常に何をもたらすのかという、テクノロジーから人への一方向の考え方が浸透してしまっていた。

 現在、このホームで模索されているのは「テクノロジーと共に暮らしていく」ことを念頭に置いた介護の実践である。そこでは、テクノロジーを特別なアイテムとみなしすぎないことが求められ、介護職員と居住者の双方が導入以前に慣れ親しんでいた日々のリズムを考慮し、そのなかで何をどう活用すれば実質的に有用なのかを丁寧に把握する必要がある。「先進的なテクノロジー」が必要とされているとは限らないという認識の上にたった実践や決定もまた重要である。

 介護需要の増加に反し人材不足が深刻な課題となっている日本でもテクノロジーの担う福祉サービスは今よりも更に広がっていくことになるだろう。デジタル化のフロンティアを走るデンマークが今まさに葛藤しながら、最適な方法を模索しているこのプロセスから学ぶ点は多くあるのではないだろうか。


もりた・まきこ 2010年、神戸大学人間発達環境学研究科修了。2012~2016年デンマーク国立オールボー大学政治学部在籍。主な専門は、社会政策学(高齢社会政策、介護)。1984年大阪生まれ。趣味は、デンマーク生活で始めたズンバ(ダンスエクササイズ)


 <富士通総研 内外経済トピックス>では、富士通総研の協力により、北海道と関係の深い中国や東南アジア、また国内経済の最新情勢について、研究員による分析や提言を随時掲載します。企業戦略やビジネス展開、就職活動などにお役立てください。


どうしん電子版のご案内
北海道新聞 購読の申し込みはこちらから
新聞配達スタッフ募集
PR
ページの先頭へ戻る