PR
PR

<第9部 輪西町かいわい>13 社会人野球の古豪 逆境克服 伝統継ぐ強さ

 鉄のように熱く―。赤いユニホームにふさわしい、劇的な勝利だった。

■4度目の本大会

 9月24日、札幌円山球場で行われた社会人野球日本選手権道予選で、室蘭シャークスはJR北海道クラブとの代表決定戦を逆転で制した。先制されて追いつき、八回に勝ち越した。5年ぶり4度目の本大会切符。選手の家族やOB、製鉄所の幹部も詰めかけたスタンドはお祭り騒ぎとなった。

 全国出場を決めてうれし涙を流した磯貝剛監督(36)は、しびれるような接戦の中で「全国的な強豪だった室蘭の伝統を受け継ぎ、新たな歴史をつくる」と自らに言い聞かせてきた。

 1939年(昭和14年)、日本製鉄(現・新日鉄住金)輪西製鉄所の所内野球大会で活躍していた選手を集めて結成された野球部がシャークスの起源。戦時中に解散状態となり、戦後に復活した。50年に富士製鉄が発足し、野球部の活動も本格的になった。

 道内外の高校、大学から有力選手を集め、鍛えた。北見柏陽高から62年に入団した内野手の藤谷照三さん(75)は「うさぎ跳び、ダッシュ、ジャンプ…。次の日は足腰が立たなくなった」と苦笑する。猛練習は63年、社会人野球の最高峰、都市対抗で道内勢初の準優勝という形で実を結んだ。

 「1番・遊撃」としてチームを引っ張った高屋敷日出夫さん(77)は、室蘭市輪西町でのパレードで沿道を埋めた市民の熱烈な歓声が忘れられない。「マチの人が練習も見に来てくれた。一体感があった」と振り返る。

■特別扱いはなし

 不況による人員削減の一環として、新日鉄室蘭硬式野球部は94年に休部し、室蘭シャークスとしてクラブチームとなった。勤務時間の特別扱いはなくなった。「午後イチ」から行っていた平日の練習は、仕事を終えた後の夜になった。約650の個人、法人による後援会が活動を支えるが、活動費は野球部時代と比べると減少した。

 全国の強豪企業チームと比べ、環境は厳しい。しかし新日鉄住金球場(輪西町3)で汗を流す小屋畑尚哉主将(30)は「しっかり働いて、限られた時間で効率よく練習をして強くなる。これこそが社会人野球です」と言い切る。

 新日鉄住金のグループ企業、日鉄住金テックスエンジでシステム開発に携わる。パソコンとにらめっこの仕事で視力は落ちたが「コンタクトレンズを入れれば問題ない」と笑う。日本選手権道予選でも勝負どころで快音を響かせた。

 瀬川隼郎投手(31)はプロ野球北海道日本ハムでの3季を経て、シャークスに今年復帰した。速球派左腕はプロ入り前も勤務していた日鉄住金テクノロジーで電子顕微鏡をのぞき込み、鉄鋼に異物が混じっていないかを検査する。

 品質管理の“最後のとりで”を任され「一から勉強中」と表情を引き締める。そして「(日本ハムを戦力外となり)野球を続けたくて室蘭に戻った僕を『お帰り』と受け入れてくれた会社のみんなに、結果で恩返ししたい」。全国での勝利を誓い、仕事と野球の「二刀流」の日々は続いていく。

どうしん電子版のご案内
北海道新聞 購読の申し込みはこちらから
新聞配達スタッフ募集
ページの先頭へ戻る