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太宰「晩年」初版本 弟分のおい宛て献辞本

 作家太宰治(1909~48年)が、おい・津島逸朗(いつろう)氏(享年24)へのメッセージ(献辞)を添えた第1創作集「晩年」(砂子屋書房、36年出版)の初版本を、逸朗氏の妹=青森市在住=が保管していることが11日、妹本人や家族への取材で分かった。「晩年」の初版本は500部といわれ、太宰が知人らに贈った献辞本は20冊以上判明しているが、逸朗氏宛てが確認されたのは初めて。専門家は「太宰が弟分としてかわいがった逸朗氏への献辞本は非常に貴重」としている。県近代文学館で27日から始まる企画展「太宰治没後70年」で特別展示される。

 所有者は阿部光代(旧姓津島、本名みつよ)さん(98)。兄の形見として自宅に保管してきた。

 光代さんは津軽の大地主だった津島源右衛門の次女・トシの次女で、源右衛門の三男・文治(初代民選知事)や六男・修治(太宰治)のめいに当たる。太宰の小説「津軽」に「光ちゃん」として登場する。

 献辞本には、見返しに「津島逸朗様」の宛名とともに「知ル人ゾ知ル キミノ大成ウタガハズ キミモ又 タカキ誇ワスレズ 誠実一路 ワタル世間ニ鬼ノナキコトヲ信ジ玉ヘ」との言葉が記されている。

 太宰研究家の故相馬正一氏によると、逸朗氏はトシの長男として1913年、旧金木村(現五所川原市)で生まれた。29年に太宰の弟・礼治が病死すると、太宰に実の弟のようにかわいがられたという。旧制青森中学校(現青森高校)を卒業、岩手医専(現岩手医科大学)を経て東京医専(現東京医科大学)に進んだが、37年に自ら命を絶った。

 光代さんは取材に対し、逸朗氏について「太宰は、兄とどこにでも一緒に行った。兄はおとなしい人だったが、物知りで勉強家。将来を期待されていただけに、亡くなった時は金木じゅうの人が泣いた」と約80年前を回想した。

 太宰研究家の故山内祥史氏は「晩年」に記された献辞について、89年時点で川端康成、尾崎一雄、竹内俊吉、今官一、小館善四郎、小館保ら18人宛てを確認。さらに数点献辞本が存在することを著書「太宰治の『晩年』-成立と出版」(秀明出版会、2015年)で紹介している。

 逸朗氏への献辞について、弘前ペンクラブの斎藤三千政会長は「太宰は逸朗を自分の分身だと思っていたのではないか。逸朗に問い掛けていながら、自分にも言い聞かせているような文章だ」と印象を語った。

 県近代文学館の竹浪直人文学専門主幹は「『晩年』の献辞入り本は、年長者や芸術家に宛てたものが大半で、時に辛辣(しんらつ)さを込めたものも見られる中、今回のような年下の肉親に対する慈愛に満ちたメッセージは大変珍しい存在だと思う」と話している。

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