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<書評>権力と新聞の大問題

望月衣塑子、マーティン・ファクラー著

空気読む記者が自由狭める
評 中村一成(フリージャーナリスト)

 「国境なき記者団」の調査では、2018年の「報道の自由度」で日本は67位、G7で最低、OECD加盟国(36か国)でも31位と、「先進国」で最低レベルにある。過去最高は10年の11位、つまりこの急落は、「安倍一強」状況下で起きた。

 本書は「海外」と「渦中」からの目の複眼でこの現状を析出し、原因と再生への方途を探る対談である。語り手はニューヨーク・タイムズの元東京支局長、マーティン・ファクラーと、「知る権利」に応えるため官邸会見で鋭い質問を繰り返す新聞記者、望月衣塑子だ。

 望月が語る「政権のメディア・コントロールの実体」は品位の対極にある。敵視する新聞のミスを取り上げ、首相自ら国会で「誤報」と攻撃する。許認可権でテレビ局を威嚇し、「公平中立」を掲げて選挙報道を恫喝(どうかつ)する。一方で首相自身がメディアのトップと頻繁に食事会を催し、政権に批判的な論評者はテレビから一掃されていく。

 だがファクラーは言う。世界的に見れば安倍政権は「特別に強硬」ではない、問題はそこに萎縮してしまう日本のメディア風土にあると。彼はその一因を「アクセス・ジャーナリズム」と「調査報道」のアンバランスに見る。前者は権力の懐に飛び込み情報を得る。後者は地道な努力で事実を掘り起こし、自らの責任で報じる。

 両方が必要だが日本は前者偏重で、政権と報道が持ちつ持たれつの「馴(な)れ合い」を続けてきた。当局から横並びで「ネタ」を貰(もら)う記者クラブはその典型だ。それが「政権との緊張関係」が薄く、情報操作や圧力に弱い記者やメディアを生んだという。

 そこに登場したのが安倍政権、自らに批判的な報道に対して、陰に日なたに圧力をかけて恥じぬ権力者たちの登場だった。安倍政権下における「自由度」の急落、それは「空気を読み」「忖度(そんたく)」する記者たち自らが招いたものだ。読みながら想起したのはこの言葉である。「人は、無力だから群れるのではない。あべこべに、群れるから無力なのだ」(竹中労)。(集英社新書 929円)

<略歴>
もちづき・いそこ 1975年、東京生まれ。東京新聞社会部記者
マーティン・ファクラー 66年、米国アイオワ州生まれ

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