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森に返る北炭幌内鉱 元炭鉱マンと歩く 大正期の建物今も

 【三笠】官営の炭鉱として1879年(明治12年)に開山し、110年間にわたって採炭を続けた旧北炭幌内炭鉱。機械化を進めた近代炭鉱の先駆けとして北海道や日本の産業を支えた。閉山から約30年がたち、施設跡は森の中で文字通り「遺産」となりつつある。1989年の閉山まで24年間、坑内で働いた斉藤靖則さん(74)=三笠在住=の案内で歩いた。

 市内幌向の鉄道記念館から1キロ。重厚なれんが造りの建物がひっそりとたたずむ。19年(大正8年)ごろに建設された変電所跡で、往時の姿を残す数少ない建物だ。約20キロ離れた夕張・清水沢の石炭火力発電所からの電気を変圧し、市内幾春別や赤平に送電した。

 閉山時に解体の危機に直面したが、「鉄骨が入っていないから壊してもお金にならないと残された」(斉藤さん)。2007年に経済産業省の近代化産業遺産に認定されただけに建物が残って良かったと思う。

 幌内で最初に作られた音羽坑に向かう。地中の坑道は水平方向に約700メートル伸びる。近くにある常盤坑は斜めの坑道が地下約500メートルまで続く。石炭を求め、採掘は深部に進んだ。

 幌内には石炭専用駅があり、旧国鉄幌内線で小樽港などへ運ばれた。幌内の石炭は鉄道や海路を通じて各地に送られ、日本の近代化を支えた。一方、1世紀余の操業で事故も相次いだ。1975年には坑道でのガス突出事故で24人が死亡。当時、機械保守の担当で坑内にいた斉藤さんは「消火のため行方不明者がいるまま注水し、鎮火後に遺体を引き上げた」と振り返る。

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