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<訪問>「その話は今日はやめておきましょう」を書いた 井上荒野(いのうえ・あれの)さん

一寸先は闇 予測できぬ人間関係

 著者独特の不穏さがこの作品にも漂う。題名にある、話題にしたくない話とは何か―。期待感からページをめくる手が早まる。

 ゆり子は庭のチューリップやバラをめでるのが好きな69歳の主婦。製薬会社をリタイアした夫昌平との夫婦仲は円満で、かっこいい自転車で走る共通の趣味もある。2人の子供はとうに独立。しかし、その平穏な日々は、昌平が自転車事故で足を骨折してから一転する。病院で出会った一樹という青年に家事を手伝ってもらうことにするのだが、彼は暴力を振るうことに快感を覚える男だった。

 一寸先は闇、ということわざがあるように現実は不安定で、世間でいう悪人が自分の助けになることもある。その予測不可能な不安定さを「できるだけ正確に書くことに小説的興味を抱いてきた」というように、登場人物3人の関係は一筋縄ではいかない。

 日常生活の中で小説のヒントになりそうなことをよくメモしているそうで、この作品は実生活を反映した場面が多い。例えば、昌平と同じく著者も3年前に自転車で転び手首を折った。「クロスバイクを買って、(作家仲間の)角田光代さんたちにLINEで写真を送った1時間後には病院にいて、コントみたいでした(笑)」。家事を手伝ってくれる若者が自宅に出入りしていることも執筆のきっかけになった。「掃除は嫌いだし、来なくなったら困る。彼はいい人ですがもし、うちのお金が少しくらいなくなっても、見過ごすだろうな、って考えたのです」

 超高齢化社会を迎え、平均寿命は男女共に80歳を超えている。70歳前後のゆり子と昌平にもまだ先の人生がある。「人は死ぬまで生きている。老いても前向きに生きたいじゃない」。そんな気持ちから、ゆり子たちに喝采を送りたくなるような場面を終盤に置き、書き進めた。

 1989年に「わたしのヌレエフ」でフェミナ賞を受賞しデビュー、2008年「切羽(きりは)へ」で直木賞に輝いた。父で作家の故井上光晴さんは絶対的存在だったという。「何か悪いことがあると『父の罰だ、ごめんなさい』って思う。一種の神様。良いことも悪いことも父が操作していそう」。光晴さんが存命なら、同じ道に進んだ娘をどのように見るか聞いてみた。「私が小説を書くことが、父にとっての幸福でした。作品をけなして作家をやめられたら困るから、ほめほめだったでしょうね」。遠くを見つめる表情が和らいだ。

東京報道 上田貴子

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