PR
PR

<訪問>「生きるとか死ぬとか父親とか」を書いた ジェーン・スーさん

愛憎超え 老いた父に向き合う

 全盛期の石原慎太郎氏とナベツネ(渡辺恒雄氏)を足して2で割らない―。そんな父に、父親らしく振る舞うことを求め続け、裏切られ、一時は「親 縁を切る」とインターネットで何度も検索した。しかし、じっくり話を聞いてみて、気持ちは随分変わった。「父を父親という物差しでしか測らず、理想の家族像に執着していたのは私の方でした」

 母親は著者が24歳の時に他界した。母にも家庭の外での顔があったはずだが、ほとんど知らないことに後悔が残った。「父のことは母親以上に分からない」。そう気づき、80歳を前にした父に向き合った。

 戦争体験には驚いた。小学1年だった父は疎開先の静岡県沼津市で空襲に遭う。一緒に逃げた中学生は焼夷(しょうい)弾が当たって腕がもげ、リヤカーに乗せていた祖母は途中で置き去りにした。身を寄せていた家は焼失した。

 生死を分けた経験をそれまで語ろうとしなかった父。そこに深い理由があったわけでもない。「親子って、何かを伝えようという意思がどちらかにない限り、ただ長い時間を一緒にいるだけ。それでもお互いのことが分かった気になるのでは」

 本書は文芸情報誌「波」(新潮社)の連載をまとめたが、途中で美しい物語に仕立てようとしていた自分に気づき、都合の悪い話も避けずに書いた。その一つが都内にあった実家を手放す時の逸話だ。父の事業は傾き、30代半ばだった著者も貯金をつぎ込んだが、焼け石に水。決断しない父の代わりに<家を出よう>と宣言した。

 引っ越しに向け、親戚や友人と膨大な荷物を処分していても、父はソファに寝そべり日がな一日テレビを見ていた。父との衝突は激しさを増した。「家を手放す段階になっても自分の責任と捉えず、ひょうひょうとしていた。もう少し、親として振る舞ってほしかった」

 ただ、父と一緒にいて今も憎めないのは、明るさとユーモアを忘れない人だから。「命があれば何とかなるっていうのが根底にあった。もっと前から父の話を聞いていれば、険悪にならずに済んだかもしれません」

 「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題」(幻冬舎文庫)などの著書がある人気コラムニストで、ラジオパーソナリティーでもある。外国人のようなペンネームだが、1973年に東京で生まれた日本人。冗談半分に「未婚のプロ」を自任していたが「結婚しない主義ではなく、そろそろ看板を下ろしたい」。

東京報道 上田貴子

どうしん電子版のご案内
北海道新聞 購読の申し込みはこちらから
新聞配達スタッフ募集
ページの先頭へ戻る