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可能性のアート

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 27日の午前中、私も韓国と北朝鮮の首脳会談の中継を見た。すぐにこれで平和が実現すると楽観することはできない。これから様々な曲折があるだろう。それにしても、南北朝鮮の指導者が直接対話する光景を見ると、深い感動を覚えた。戦争、武力行使という選択肢はあまりに大きな犠牲を伴うものであり、絶対に取ってはいけないという強い決意がここまでの事態の展開をもたらしたのだろう。

 ドイツの大政治家、ビスマルクは、「政治は可能性のアート(技術)である」という名言を残している。誰もが不可能と思うようなことを成し遂げるのが大政治家の技量だという意味である。このところ、政治の力でよいことを成し遂げるという事例があまりに少ないので、世界中の人々は政治に幻滅している。朝鮮半島で南北の融和、平和が実現すれば、政治の可能性に希望を持つ人が増え、それがほかの地域にも良い影響を与えるかもしれない。

 ここで目を国内に転じると、残念ながら幻滅が深まるばかりである。平昌オリンピック以来、朝鮮半島における話し合いに対する消極性、さらには敵意に関して日本は世界の中で抜きんでていた。それはある意味で当然である。安倍晋三首相にとって、北朝鮮の脅威は政権への支持を創り出す格好の道具だったからである。特に、昨年8月の北朝鮮によるミサイル発射は、東京都議会選挙での大敗で苦境にあった安倍政権にとって望外の追い風を吹かせ、10月の総選挙での大勝をもたらした。麻生太郎副総理が、選挙勝利は北朝鮮のおかげと言ったのは、本音だったろう。安倍政権にとっては、朝鮮半島が平和になり、北朝鮮の脅威イメージが薄れることは、政権を支えてきた柱が抜けることを意味する。

 国内政治のために外国を利用することはもうやめるべきである。「対話のための対話には意味がない」とか「圧力をかけ続けなければならない」と念仏のように繰り返すのではなく、朝鮮半島の平和のために何ができるかを謙虚に、そして積極的に考えるべきである。

 日本の場合、拉致問題を抱えているので、他国に比べて和解のメッセージを伝えることが難しいという事情もあった。しかし、拉致問題の真の解決のためには、他国を頼るのではなく、日朝間での直接対話が必要である。対話の窓を開くためには、対話の意欲を伝える必要がある。北朝鮮に対する敵意や憎悪を煽ることは自制するという態度は、有効なメッセージとなる。しかし、朝鮮総連本部が銃撃されたときに、政府は強く遺憾の意を示したわけでもなく、朝鮮学校は高校無償化から除外されてきている。拉致事件という国家犯罪を許すことはあり得ないとしても、日本国内において民族差別を煽る一部の人々による差別や暴力は許さないという決意を示すことは政治指導者の使命である。

 日本の政治も、可能性のアートに取り組むべき時である。それができなければ、拉致問題は解決しないし、東アジアの平和から日本だけが取り残されることになる。

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