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2.これまでの論議は 主役は9条、攻防続く

 特集「一からわかる改憲論議」の2回目は、日本国憲法が1946年11月に公布されてからこれまでの間、どのように憲法改正が論議されてきたのかを振り返りながら、臨時国会から本格論議に臨む主要政党の改憲に対する考え方などを探った。

Q なぜ一度も改正されたことがないの? 戦後政治、経済を優先



 憲法改正といえば、戦争を放棄した9条を改正するのかどうかという視点で捉えられることが多かった。第2次世界大戦を経験した世代を中心に、不戦を誓った憲法を変えれば再び戦火に包まれかねないとの思いが強く、そうした国民の危機意識が改憲にブレーキをかけてきたんだ。


 それと、戦後の政治状況も大きく影響している。連合国による占領時代に首相を務めた吉田茂氏は、国民が食糧難に苦しむ中、経済の立て直しに最優先で取り組んだ。お金の掛かる軍備は米国に任せて、経済復興に集中したいとの考えもあって、独立後の日本に米軍がとどまることを認める日米安全保障条約も締結した。

 でも、こうした「軽武装・経済優先」路線に不満を抱く人もいたんだ。安倍晋三首相の祖父・岸信介元首相だ。占領下でつくられた憲法の改正や、日本が再び軍隊を持つことを主張し、吉田氏率いる自由党を飛び出して日本民主党を結成した。55年に岸氏らの主導で両党が合流し、自由民主党(自民党)が誕生。以来、自民党は自主憲法の制定を目指している。

 初代自民党総裁の鳩山一郎元首相は56年の参院選で日本の再軍備に向けた改憲を訴えたけど、戦争につながることを恐れた国民は多く、改憲の手続き(発議)に必要な3分の2の議席は得られなかった。その後、首相に就いた岸氏も日米安保条約改定に政治的なエネルギーを使い果たし、改憲に着手できなかったんだ。

 岸氏から政権を引き継いだ池田勇人元首相は、吉田氏が自らの後継に育てた人物で、改憲論を封印し、経済優先の路線に戻した。日本は50年代半ばから急速に経済が成長する時代に入り、経済重視の政治は国民に広く受け入れられた。自民党と旧社会党が対立する「55年体制」と呼ばれる政治状況も生まれ、改憲に反対する旧社会党など野党が3分の1以上の議席を確保する局面が続き、改憲論議は下火になったんだ。

 91年の湾岸戦争をきっかけに、日本が安全保障分野でも積極的に国際貢献すべきだとして一部国会議員から改憲論が再浮上したが、戦争体験のある自民党の大物議員の多くが慎重で、改憲が政治課題の中心に上ることはなかった。現在は戦争を体験した世代が減り、国が抱える課題も多様になっていることから、国会議員の改憲に対する意識も変わってきている。

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