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<母をみとる 在宅の2週間>1 「家に帰りたい」 大変さに涙こぼれる

 2016年4月6日。もう少しで夜が明ける時刻。80歳の母は、穏やかに旅立った。病院のベッドではなく、一緒に暮らすマンションの母の部屋。眠っているだけのような母の手を握り、私は静かに「ありがとう」とつぶやいた。

 この2週間前、母は病院から自宅へ戻った。肺がんと診断されて4年の闘病期間、何度も入退院を繰り返した。そして、たぶんこれが最後と覚悟した3月の入院。その翌日から、母は「うちに帰りたい」と言い出した。モルヒネの点滴ですでに意識はもうろうとしている。食欲もない。それでも「帰りたい」とうわ言のように言い続ける。すでにベッドで体を動かすことさえできなくなっていた。

 こんな状態で連れて帰れるわけがないと、頭では分かっていても母を見ているのがつらかった。病院を出ても母の声が耳元で聞こえるようだった。

 そして、以前に友人から紹介されていた、在宅医療に熱心に取り組んでいる金谷潤子先生(札幌麻酔クリニック)に相談。先生はすぐに「帰してあげましょう」と力強く背中を押してくれると同時に、酸素吸入の機器などを迅速に手配してくださった。

 本州に住んでいる弟夫婦をはじめ周囲の人たちには「病院の方が安心だ」と猛反対された。それでも母の最後の望みをかなえたかった。もう「次」は、ない。

 自宅へ戻り、自分のベッドでうれしそうにしていた母の顔をいまでもよく覚えている。点滴をやめて服薬の痛み止めだけにしたせいか、母は意識がかなりはっきりして普通の会話ができるようになった。

 でも、このときには余命わずかな身内を自宅でみることの大変さを私は分かっていなかった。母は一人でいるのが不安なのか、私がそばを離れるとすぐに私の名前を呼んだ。夜も母が眠ったのを確かめてから休んだが、熟睡はできなかった。24時間、気が抜けない。

 そして、自宅へ戻ってから2日目の朝、母は大量に便失禁した。後で聞いたことだが、死期が近づくとよくあることらしい。私はどうにかパジャマを脱がそうとしたが、うまくいかない。ただ横たわるだけの母の体は、思っていたより重たかった。力まかせにどうにかおむつを引きはがしたが、母をベッドからずり落としそうになった。気づくと私も全身うんちまみれ。ボロボロと涙がこぼれた。こんなことさえできないのに自宅でみようとしていたのかと自分が情けなかった。

 それまで定期的に来てもらっていた訪問看護ステーションに電話したが、対応はできないと言われた。心が砕けそうになって私は金谷先生へ連絡。ある訪問看護師さんの連絡先を紹介された。初めてにもかかわらず、その方はほどなくやってきてくれた。このときの安堵(あんど)感を私はたぶん一生忘れないだろう。

 その後、母との奇跡のような時間が始まる。(清水奈緒子)

 札幌の清水奈緒子さんは2016年3月から4月にかけて2週間の在宅介護の後、母親をみとりました。清水さんにその体験記を寄せてもらいました。

 しみず・なおこ 札幌市出身。藤女子大学文学部英文学科卒。ニューメディア関連企業勤務を経て、1988年からフリーランスのコピーライターとして広告などの企画制作に携わる。札幌市中央区在住。

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